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寛容の哲学説いた政治家「金大中」(五味 洋治)2015年5月

北欧の国、ノルウェーの冬は夜が長い。午後3時になると暗闇があたりを覆い、朝は9時過ぎまで明るくならない。2000年12月10日、ノルウェーの首都オスロは早朝から小雨が降っていた。

 

その日の午後、オスロ市庁で、ノーベル平和賞の授賞式が予定されていた。主人公は金大中・韓国大統領だった。私も、赴任先のソウルから現地入りしていた。金大中という政治家の、最高の瞬間を見ておきたいと思い、上司を説得して実現した出張だった。

 

金氏は韓国で初のノーベル賞受賞者だっただけに、関心も高かった。会場となった市議会ホールの周辺には、市民らが集まった。子どもたちから金氏に「平和のたいまつ」が渡され、どんよりとした天気の中、そこだけが明るくなった。

 

金氏はこの年の6月に南北首脳会談を実現し、北朝鮮との緊張緩和に貢献した。式でもこの業績が紹介された。金氏は終始笑顔を絶やさなかった。式が終わり、金夫妻の退場が告げられた。

 

私は慌ててプレスルームから飛び出し、金氏に「おめでとうございます」と韓国語で話しかけ、手を握った。「サンキュー」と返してきた。その手は小さく、温かかった。

 

私は20代から朝鮮半島に関心を持ち始めた。きっかけは金大中氏だった。40年を超える政治生活で5回も殺されそうになった、民主化運動に生涯を捧げた政治家。

 

それだけでも十分に人を引きつけるが、初挑戦から26年間、計4回の大統領選に出馬し、1997年には遂に勝利を手にした。

 

政権末期には、韓国の歴代大統領の例に漏れず、周辺で数々のスキャンダルが起きたが、任期中、歴史に残る仕事をいくつも成し遂げた。

 

南北首脳会談だけではない。小渕恵三首相との間で日韓共同宣言をまとめ、歴史問題でジグザグしてきた両国関係を安定させていることも見落とせない。

 

私がソウルに赴任した99年3月、金氏はすでに大統領職にあったが、近くで接する機会が、オスロを含め3回あった。一度は金氏が訪日を前に、日本メディアの在ソウル特派員と懇談会を開いた時だった。テーマは日韓関係で、日本語も話せるはずだが、全て韓国語で通した。

 

時々、横に座っている通訳に向かって「今の訳は正確ではなかった。こういう意味だ」と、小さく声をかけていた。剛胆な民主運動家というより、繊細な思想家といった印象だった。

 

もう一度は、青瓦台(大統領府)で開かれた何かの式典だった。金氏は夫人とともに招待客の方に歩いてきたが、歩き方はぎこちなかった。若い頃、テロの疑いの濃い交通事故に遭った後遺症だった。

 

金氏は軍事独裁政権下で6年間収監され、読書に打ち込んだ。歴史書を数多く読み、思想を深めた。

 

自宅の地下には膨大な蔵書があったという。今その本は、自宅脇に建設された図書館で一般に公開されている。

 

金氏は、「相手に対して寛大な国が栄える」「平和的に話し合い、双方に利益を」と説いた。それが南北関係や日韓関係を動かした原動力だろう。

 

東アジアを見回すと、あのオスロの冬のように重苦しい日々が続いている。

 

今こそ金氏が83年の人生を通して語ってきた「寛容の哲学」を思い起こすべきではないだろうか。

 

(ごみ・ようじ 東京新聞編集委員)

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