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仏右翼「国民戦線」前党首・ジャン=マリー・ルペンさん デマゴーグは社会の体温計(国末 憲人)2015年2月

何せ、移民排斥や反ユダヤの発言で悪名をとどろかせた人物である。本欄で紹介するのは、大いに気が引ける。同時に、次に何をしでかすか、目が離せない人でもあるのが、フランスの右翼政党「国民戦線」前党首のジャン=マリー・ルペン氏(86)だ。

 

彼には「極右」「ファシスト」との非難がつきまとう。なのにあえて取材を続けてきたのは、彼を通じてフランス社会の病理が透けて見えると思うからだ。世の中がいかに不健全かを指し示す体温計的な存在なのである。

 

ルペン氏をちょっとだけ弁護すると、彼は差別主義者でデマゴーグだが、ファシストやネオナチではない。右翼の潮流から暴力路線を排除し、議会主義を定着させた「功労者」だと位置付けられる。

 

学生時代から右翼活動に走り、1972年に「国民戦線」を設立。以後、38年余りにわたり党首を務めた。2002年には大統領選の決選に勝ち残った。

 

その決選前、インタビューを通じて、彼と身近に接した。

 

「大量の移民のせいで、無秩序が社会を支配し始めている」

 

「欧州連合(EU)内のフランスの地位は、米国内のオクラホマ州程度。EUから早く抜け出せ」

 

言いたい放題。一方で、強面イメージの割には礼儀正しく、人当たりもいいのは意外だった。

 

以後、彼の記者会見に頻繁に顔を出し、集会で演説も聴いた。その弁舌は、もはや芸術の域に達している。敵を明確に定め、あらゆる表現を駆使して罵倒する。原則論と具体例を巧みに使い分け、思わぬ比喩で聴衆を驚かせる。

 

天性の雄弁家か。いや、世間から相手にされない中で関心を集めようと、話術を磨いたからに違いない。彼は百の詩をそらんじる。

 

2007年の大統領選前、帰郷した彼に同行して、仏西部ブルターニュ地方の漁村を訪れたことがある。実家は、長屋の一室だった。「水道も電気もなかったんだ」と、極貧の少年時代を振り返る。エリートぞろいの仏政治家の中で、彼は珍しく、庶民の出だ。14歳の時に漁師の父を事故で失い、以後の苦学の経験が、現在までの活力につながっている。

 

もっとも、皮肉っぽく挑発に満ちた彼の言動には、どこかしら「道化師」の薫りも漂っていた。彼は、右翼が大統領になれないと、とっくに悟っていたのでないだろうか。

 

2013年秋、仏ストラスブールの欧州議会で久々に彼と会い、議員食堂で昼食を共にした。食欲は相変わらずだ。山盛りのステーキを平らげ、コカコーラを注文して「ばれたら、何を言われるかわからないなあ」と笑いながら飲み干した。反グローバル化を旗印とする右翼は、コーラなど飲んではいけないはずなのに。

 

一方で、さすがに衰えぶりも否めない。やや疲れた表情で、周囲の会話にうんうんとうなずくばかり。2011年に党首の座を三女のマリーヌさんに引き継いで、急に老け込んだのかもしれない。

 

マリーヌさんは、父よりも冷徹、戦略的で、政権を手にしようと本気で画策している。1月にパリで起きた連続テロの際にも、反イスラムの主張を前面に掲げ、支持拡大を狙った。

 

この政党、この一家からは、まだまだ目が離せそうにない。

 

(くにすえ・のりと 朝日新聞論説委員)

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