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「小さな物語に潜む価値」を探し続けた山口昌男さん(稲熊 均)2014年10月

「ロシアの基盤をつくったのは2人のウラジーミルなんだろ」。山口昌男さんの口からそんな言葉が出て、ちょっと驚いた。博覧強記の文化人類学者とはいえ、ロシアにことさら詳しいわけではない。ただ確かに、ロシア帝国の基礎を築いたのはウラジーミル聖公、ソ連を創設したのがウラジーミル・レーニンだ。「だから…」と、山口さんは続けた。


「3人目が、ソ連崩壊後のロシアを安定化させたウラジーミル・プーチンさんってことだ」


これは、2007年春、私が赴任先のモスクワ支局から一時帰国した折、山口さん宅におじゃましたときのやりとりだ。翌年のロシア大統領選に話題が及び、プーチン氏が不出馬でも、最高権力は握ったままという見立てだった。その後のロシアをみれば、「山口説」は正しかったといえる。


ただ、この訪問からほどなく、山口さんは病に倒れ、私にとって最後の会話となってしまった。


私が山口さんと知り合ったのは30年ほど前、東京タイムズ(東タイ)に勤めていたときのことだ。高見山が引退し、1面で好角家の文化人に論評してもらおうということになり、山口さんにコメントをもらった。「引き際の美学を否定して最後まで頑張った『反美学』に感動した」というような内容だった。


しばらくして、当時、運動部長だった木村修一さん(故人)が「相撲に限らずあらゆるスポーツについて、さまざまな分野の文化人に彼らの観点で論じてもらおう」と言い出し、週1回の大型リレーコラムをスタートさせることが決まった。著名な知識人を集めることが問題だったが、幅広い人脈を持つ山口さんをコラムの柱にすれば、芋づる式に著名人が集まると虫の良いことを考え、お願いすることにした。


渋谷で初めてお目にかかった山口さんは快諾してくれたが、1つ条件を出した。「テニスを始めたので付き合ってほしい」。このため週に一度、調布郊外のテニスコートに集まることになり、「テニス山口組」が発足した。「組員」は東タイの枠を越え、メディア各社の編集者や文化人を中心に膨らみ、活動の領域も拡大。テニス合宿で世話になった地域と交流し、文化イベントを定期開催するまでに発展した。そんな縁もあり山口さんは私の仲人を引き受けてくれたが、披露宴の新郎紹介では「私の本を1冊も読まず仕事を依頼してきた唯一の人間です」と暴露し、会場を湧かせてくれた。


私が中日新聞社(東京新聞)に入社し、モスクワ支局勤務になると、カフカスや中央アジアの少数民族について、特派員の気づきにくい死角のような知識を授けてくれた。いまも忘れられないのは「1つの大きなストーリーにとらわれるな。無数の小さな物語に潜む価値を見いだせ」という言葉だ。


実は、最後に山口さんに呼ばれたのは、ロシアや東欧を訪れるための相談だった。できればフランスにまで足を伸ばし、古くからの友人と会い、書店巡りもしたいと意気込んでいた。世界各地で「小さな物語」を探すことに貪欲であり続けた。だが、すでに体調が悪く、この旅はかなわなかった。


昨年3月に亡くなられた後、奥さんのふさ子さんからこんな話を聞いた。「最後の仕事として、故郷の網走でロシアと日本の若い学者を支援できるような交流施設をつくりたいって言ってたのよ」


微力ながら恩返しできる最後のチャンスだったのだが…。


(いなぐま・ひとし 中日新聞東京本社編集局次長)

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