ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


リレーエッセー「私が会ったあの人」 の記事一覧に戻る

安部公房さんに「もぐらの記者」と呼ばれて(小山 鉄郎)2014年1月

「もぐらの話ばかりだったようですが…」。『方舟さくら丸』の取材で、初めて安部公房さんにお会いした後、担当の新潮社のSさんと電話で話していたら、そんな心配そうな言葉が返ってきた。


この小説には「もぐら」(モグラの表記も)という人物が出てくるのだが、当時の私は日本のもぐらの生態や各種もぐらの勢力地図に詳しく、ちょうど安部さんの仕事場があった箱根あたりで、彼らが勢力争いをしていることなどを話したのだ。安部さんも面白がっていたので、もぐらのことをついしゃべりすぎたのかもしれない。


古い手帳を見てみると、安部さんと会った日は30年前の1984年11月2日。その年に文化部に異動、文芸担当となったばかりで、作家へのインタビューの仕方もよく知らなかったのだろう。


そして翌春。その年が芥川賞直木賞創設50年なので、また安部さんに会いたいと思い、電話をすると「あのもぐらの記者か」と言って、申し込みを受けてくださった。日ごろは「何周年とかいう取材は受けない」と安部さんは話して、「でも、もぐらの記者の頼みだからなあ…」と笑っていた。人生、何が幸いするか分からない。


安部さんによると、芥川賞受賞当時は安部さんはまだ共産党時代で、その時はオルグ活動中だった。疲れて寝ていたら、夢の中でラジオが「…芥川賞…安部公房…」と言っている。目が覚めた安部さんは「どうも芥川賞と言っていたような気がする…おれもそんな夢を見るようになったか。随分、堕落したもんだと思った」と語っていた。


以来、繰り返し取材をしてきたし、何度か誘われて食事をしながらお話をうかがったこともある。そのどの話にも作品にも、いつもユーモアと反転があり、世界をゼロから考え直すような深みがあった。


例えば『方舟さくら丸』にはユープケッチャという奇妙な虫が出てくる。その虫は時計のように同じ所をぐるぐる回りながら、糞をして、その糞を餌にして食べているので、足が退化している。円環と自己充足のユープケッチャについて、自己の場所から脱出できない人間の象徴と受け取った人もいたが、このユーモラスな虫にも、安部さん独特の反転と、世界への深い思考が込められていたようだ。


われわれは円環を確認することで、初めて安心を得る。一日という円環。一年という円環。それらの円環の保障がわれわれの日常というもの。この円環の保障と安心の延長上に初めて、より大きな次の円環への旅立ちが可能になる。精神文化が生まれてくる。つまり円環にとどまるがゆえに、円環から脱出できる可能性を持つという安部公房らしい反転が、この愉快な虫・ユープケッチャにはあったのだ。


安部さんと話していると、このように自分の世界観が一新するような思考がいつも伝わってきた。


最晩年、その安部さんはアメリカ文化の持つ普遍的な力について考え続けていた。お会いするたびに「あの後も考えていてね」と構想の一端を話してくれたが、でも、それをついに書くことができぬまま、1993年に亡くなってしまった。そのことがとても残念だ。


そして安部さんの死後、日記の存在が明らかになり、そこに「もぐら日記」と命名されていた。その名を知った時、安部さんと初めて会った日のことを思い出した。もっともっと、もぐらの話を聞いておけばよかった。いまは「安部公房のもぐらとは何か」を考えてみたいと思っている。


こやま・てつろう▼共同通信編集委員兼論説委員 2013年度日本記者クラブ賞受賞

ページのTOPへ