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夢見る力と努力こそ人生 シャンソン歌手の石井好子さん(杉本 新)2013年10月

日本のシャンソン界を代表する歌手だった石井好子さんが87歳で亡くなって、3年が過ぎた。ステージの中央で両手を広げ「愛の讃歌」「かもめ」などの名曲を堂々と熱唱する姿を思い出すと、石井さんにとって生きるとは、すなわち歌うことだったのだと、あらためて感じる。歌に魂を注ぐためには、高い理想と歌手としての厳しい自己管理があったはずだ。夢見る力、そして努力。この2つを保ち続けた人だった。


名文家でもあった石井さんに連載エッセーの執筆をお願いするため、13年前の初夏、私は東京都内の自宅を訪ねた。以前から石井さんの名エッセー集『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』を、何と楽しい本だろうと思っていた。書名も文章もおしゃれで、食欲をそそられ、味わい深い。連載の執筆者として知名度も申し分ない。


当時、30代の文化部記者だった私が持ちかけた連載のプランは、長い歌手生活の転機や、同世代の人たちへのエールなど、要は石井さんならではの経験と日ごろ考えていることを書いてほしいというものだ。どうにもぶしつけで拙い依頼だったが、幸い快諾された。


「ドリーム/夢をみましょう/心の重いとき/夢をみましょう/夢はいつかかなうでしょう」。第1回の原稿には、ジャズ歌手として1945年にデビューした時に歌った「ドリーム」の歌詞があった。敗戦直後、心の中では「夢なんてありはしない」と思いながら歌っていたという。この原稿を執筆した2000年、77歳の石井さんは、歌手として歌い続けてきた道を振り返り「夢ってかなうもの」とつづっている。


同じ原稿に「流れる水はくさらず」という言葉が好きだとも書いていた。たゆまぬ努力を象徴するその一節から、連載のタイトルを「流れる水のごとく」と決めた。


「シャンソン、それは私の人生でもある」という印象的なフレーズや、パリの劇場で出会った歌手も踊り子も「料理人かと見まがうほど料理のうまい人が多かった」という楽しい思い出話など、連載は半年間続いた。期待した通り、石井さんでなければ書けないエッセーで、大変にありがたかった。


編集上のやりとりをしているときは「あら、そう。じゃ、お願いしますね」と、いつも優雅な答え方だったが、リサイタルや毎年恒例の「パリ祭」の公演では全身から熱気をほとばしらせ、迫力のある歌を聴かせた。周囲から「練習魔」と言われたのは、歌は人生であり、決して逃げないという強い意志があったからだろう。


連載エッセー「流れる水のごとく」の中に、とりわけ忘れがたい場面がある。文中の石井さんは、亡くなった夫から贈られた地球儀を1人でぐるっと回している。人さし指を付けて止まった場所の地名を見た。続けてこう書いている。


「指の止まったところに『いつか行ってみよう』という思いは『もう行けないかもしれない』という思いに変わったけれども、夢は今も見ることができる。夢の中に美しい世界が見える」。若い頃はどこにでも行けたが、齢を重ね、「いつか行こう」と考えるのはもう難しいというのだ。


それでも石井さんはさまざまな夢を持ち続け、80歳を過ぎてもステージで声を響かせた。心の重いとき、夢を見よう。夢見る力、そして努力。この2つこそが私たちの人生だと、身をもって証明したのである。


すぎもと・あらた▼共同通信文化部長

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