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思想の巨人のたくまざるユーモア 吉本隆明さん(細田 正和)2013年6月

ことしの正月、記者仲間たちとの新年会で、古い友人が小さなため息をついた。「おれたち、ヨシモトのいない年を迎えたんだな」


何を今さら。そんなの当たり前の話で、吉本さんは昨年3月に亡くなったのだし、そろそろ一周忌だぞ…と言い返そうとした私だが、口をついて出たのは「そうだよな。吉本さんのいない時代になったんだな」という相づちだった。


詩人で思想家の吉本隆明さんと初めてお会いしたのは、1990年初夏だった。当時吉本さんは60代半ば、新たな代表作となる『ハイ・イメージ論』執筆のただ中だった。


「愛知県警担当から文化部に来た変わり種です」と先輩が紹介してくれたが、過激な論争家(しかも連戦連勝!)という先入観にとらわれていた私は、取りえのずうずうしさも失って、客間の畳に額をこすりつけていた。吉本さんは手ずからお茶をくんですすめてくれたが、味は覚えていない。


後日、和子夫人や長女多子(さわこ、漫画家ハルノ宵子)さんから、「あの時の緊張ぶりは、笑えたよ」と何度もからかわれることになった。


私の一方的な・恐怖・は、素顔の吉本さんを描いた多くのリポートが指摘するとおり、先入観による誤解であった。おごらず、高ぶらず、市井の大衆として生きる…生活人としての吉本さんは、そんな倫理を生き抜いた。暮らしに四季折々の句読点を欠かさぬ吉本家に出入りするうち、取材よりむしろ、お花見、飲み会、海水浴、映画見物、忘年会などのお付き合いに熱心になっていった。出入りの書生の気分だった。


暮らしの場での吉本さんはまことに気さくだった。武骨で控え目なふるまいが、たくまざるユーモアとなって周囲を和ませた。家族や友人たちのどんちゃん騒ぎを、ビールをなめながらニコニコ見ていた。昼時には台所に立って「地獄うどん」をふるまってくれた。


そんな吉本さんの最晩年の姿は、近刊『開店休業』(プレジデント社)で読める。食をめぐる短いエッセーに、ご長女が追想文とイラストを付した。父と娘の幸せな関係が、読む者も幸せにする。


だがしかし、「思想家吉本」はまったく別だった。どれほど尊敬する先輩だろうと(例えば埴谷雄高氏)、売れっ子の若手学者だろうと(例えばニューアカ)、いったん筆を執ったら容赦なかった。徹底的に対峙した。時には罵倒した。オウム真理教をめぐる宗教論では、自ら社会の指弾に苦しんだ。いつだって「僕が倒れたらひとつの直接性が倒れる/もたれあうことをきらった反抗が倒れる」とうたった初期の詩篇そのものの姿勢だった。


1952年の『固有時との対話』から半世紀以上、何ものにも寄りかからぬ単独の思考で走り続けた吉本さん。照れた下町口調で「よせやい」と言うにきまっているから、「戦後思想界の巨人」という大げさな看板は使わない。


だが確かに、そう呼びたくなるほど、業績は多岐にわたって屹立している。国家論、言語論、文芸批評、イメージ論、宗教論…先日、あらためての全集刊行といううれしい知らせが届いた。
寂しがってばかりいられない。残された言葉を頼りに「吉本のいない時代」を、私たちは生きていかなければならないのだ。

ほそだ・まさかず▼共同通信デジタル推進局長 元文化部長

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