ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


リレーエッセー「私が会ったあの人」 の記事一覧に戻る

バレエの舞台は平和への祈り 被爆地への思い胸に魂で踊る森下洋子さん(守田 靖)2013年4月

幕が上がってハッとした。背景絵に何度も目を凝らした。西洋風の街のかなたに、原爆ドームが描かれていたからだ。


昨年、8年ぶりに東京支社に赴任し、もう一度会いたいと思ったのがバレリーナの森下洋子さん(64)=広島市中区出身=だった。舞踊歴60年を超える森下さんが団長を務める松山バレエ団の公演「コッペリア」を見た。火砕流で壊滅した街の復興を描いた物語は東日本大震災への鎮魂の思いにあふれ、圧巻だった。でも、なぜ原爆ドームなのだろう。


終演後、団員から聞いた。「この舞台は戦争や災害などで傷ついた人類の全ての痛みに向けられています。われわれは森下さんが郷里の広島で学んだことを学びたいと思っています」。団を貫く平和、広島への思い。あらためて森下さんの声を聞きたくなった。


初めてお会いしたのは12年前。舞踊歴50年の節目でのロングインタビューだった。日本人として初めて国際コンクールで金賞を受賞したこと、エリザベス女王戴冠25周年記念公演で踊ったこと、日本人で初めてパリのオペラ座の舞台に立ったこと…。華々しい経歴だが、誇る言葉はサラサラなく「『白鳥の湖』は年10回は踊っているのに、毎回やるべきことがみえちゃって」と真顔に。かと思うと「稽古の後のビールがおいしいのよ」と笑わせる。飾らない人柄にすっかり魅せられてしまった。


コッペリアの公演から数カ月後、久しぶりに話をうかがえた。「芸術は人々の平和のためにある。バレエもそう」「世界の平和を祈り、多くの人々に幸せを届けたい」。ルドルフ・ヌレエフら世界のトップダンサーとの交友を振り返りながら、「どの舞台も全身全霊でいなければ」。バレエの舞台は平和への祈り─。その思いを語り続けた。


森下さんは「焼け野原の広島」と言う。1948(昭和23)年生まれ。3歳でバレエを始めた頃の広島市はまだまだバラックで雨露をしのぐ市民が多かった。原爆で半身を焼かれた祖母は、不平一つこぼさず、明るく、森下さんに愛情を注いだ。「その姿に知らず知らず学んだ」と語る。コツコツと再建してきた街や人々の姿が舞台につながっているのだろう。


最近の記者会見で、次世代へのメッセージを求められた森下さんは「一人の人間として心、精神、魂を磨いて」と語った。人間として当たり前のことを当たり前に。お互いを思いやり、良いことを。その思いが世界平和につながるし、そのためにこそ芸術はある。真っ直ぐな言葉がすがすがしい。松山バレエ団(南青山)に取材に行くと、団員の方がいつまでも玄関で手を振って見送ってくださる。かつてあった日本人の美徳を思う。


舞踏歴、62年。これほど長く全幕物で主役を続けるバレリーナはいない。何が他の人と違ったのか。「普通は、回りがもうそろそろと言うんだけど、幸い、私にはそういう人がいなかっただけ」と笑わせつつ「大好きなバレエを続けたい。これからもずっと」。


コッペリアの客席には英国のロイヤルバレエ団に所属したバレリーナ吉田都さん(47)の姿もあった。切り開いた世界への道。後輩から憧れられつつ、その先頭にはこれからも森下さんの舞がある。

もりた・やすし▼中国新聞東京支社編集部長兼論説委員

前へ 2019年12月 次へ
1
7
8
12
13
14
15
16
17
18
19
21
22
23
25
26
27
28
29
30
31
1
2
3
4
ページのTOPへ