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半世紀、民族の伝承に努めたアイヌ初の国会議員・萱野 茂さん(村山 健)2013年2月

萱野茂さん(2006年、79歳で死去)は、アイヌ民族で初めて国会議員になった人である。
 1994年8月から98年7月までの4年間、旧社会党─民主党の参議院比例代表だった。期間が6年に満たないのは、名簿順位が一つ上の松本英一氏(福岡県出身)が任期途中で亡くなり、繰り上げ当選したためだ。
 選挙の前、名前が取り沙汰されていることを伝えると、「大ごとだ。どうするべなあ」とつぶやいた。その口調が、妙にのんびりしていたのを覚えている。萱野さん自身はアイヌ民族の復権について、政府と議論できたらいいと考えていた、と後で教えてくれた。
 萱野さんには、そんな茫洋とした雰囲気が漂っていた。
 私が社会部のアイヌ民族担当になり、日高管内平取町二風谷のご自宅に通い始めたのは、1988年の秋だったろうか。以来ふいに訪ねても、奥から「上がんなさい」と声がして、いつも快く招き入れてくれた。
 萱野さんは問わず語りに、実に多くのことを聞かせてくれた。中には、まるで擦り込むように、繰り返し話す内容もあった。例えば、次の話はその一つだ。
 「アイヌというのは、人間という意味です。行いの善い人だけを『アイヌ』と呼ぶ。働かずに貧乏しているような人は『ウエンペ』と言って、私たち民族は、そう呼ばれないよう、『アイヌ・ネ・ノアン・アイヌ』、人間らしい人間、立派な人になろうと努力してきたの」
 「和人は初め、『シ・サム・ウタラ』と呼ばれた。シ=私、サム=かたわら、ウタラ=仲間という意味で、『良き隣人』と、親しみを込めて受け入れていた。それが、アイヌを土地から追い出し、いじめるようになってからは、『ウエン・シ・サム』、悪い隣人と言われるようになったんです」
 住民のほとんどがアイヌ民族の血を引くといわれる二風谷で、半世紀余り、アイヌ語とアイヌ民具の保存、伝承に努め、菊池寛賞、吉川英治文化賞、北海道新聞文化賞などを受賞。神送りの研究で、博士号も取った人だ。
 その語りの世界は深く、広く、耳を傾けるたびに魅了された。
 リーダーの条件という話も印象深い。
 「『シレトッ』(器量)、『ラメトッ』(度胸)、『パウェトッ』(雄弁)の三つが備わっていないと、アイヌの指導者になれなかった。シレトッというのは、狩猟、採集にかかわる能力など仕事ができるか否か。『先を行く者はぬれる』という格言もあります」
 萱野さんによると、「先を行く者」とは、狩り場に向かう男たちの先頭に立つ者をいう。早朝、朝露にぬれたささやぶを分け入って行けば、最もぬれるのは先頭の者に違いない。
 意味するところは、新しい分野に挑戦する者、責任を負う者は失敗したり批判されたりする。それを覚悟しなければならない、と。
 萱野さんも国会という未知の世界に飛び込むとき、「ぬれる覚悟はできているよ」と述べた。
 アイヌ民族の国会議員として、前のめりで取り組んだアイヌ文化振興法は、97年5月に成立した。

むらやま・つよし▼北海道新聞東京支社編集局長


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