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私が会った文芸評論家・江藤淳さん 小沢氏評価、あることで一転(小林 静雄)2012年12月

取材などで知己を得た人の中では、文芸評論家の江藤淳さんが忘れられない。平成9年(1997)から11年までの3年間、産経新聞の一面に「月に一度」というコラムを書いていただき、私が担当したのだが、壮絶な自裁という形でお別れしたことは記憶から消えない。


江藤さんには、鋭い切れ味の評論、権力も権威も恐れない剛毅で気むずかしい人という先入観があっただけに、政治部畑の私としては担当することに緊張があった。初めて鎌倉・西御門のお宅におじゃまし、担当のあいさつをし、原稿の受け渡しについて打ち合わせをしたら、話題がない。仕方なく、江藤さんが乗ってきそうな旧制湘南中学時代の同級生、石原慎太郎氏をまな板にのせ、あとは三島由紀夫、野坂昭如…読みかじった程度の知識で、図々しく私なりの人物論をぶった。


釈迦に説法というか、臆面もなくとは、このこと。文芸評論の大先生は面白がって?「あー、そう、そう」「そこは荒っぽい言い方だね」などと相手をしてくれた。

 

同席していた慶子夫人が「原稿を書き上げると、『キミ、これでどうだ』と私に渡すんです。私が『ここは、こうした方がいい』と言うと、直すんですよ」と語るのを、江藤さんがうれしそうにうなずいていた。ちなみに、江藤さんの原稿は几帳面な鉛筆書きで書き直しや挿入は一切ない。


平成9年夏、当時、政界の三大実力者だった中曽根康弘元首相、竹下登元首相、小沢一郎新進党党首と江藤さんが対談する企画を立て、お願いしたら江藤さんも乗り気になってくれた。対談場所は竹下元首相が東京の事務所、中曽根元首相は軽井沢の別荘だったが、小沢氏とは軽井沢の江藤さんの別荘で対談することになった。


その年の3月、江藤さんは「月に一度」で、「帰りなん、いざ─小沢一郎君に与う」と、慶応大学の後輩である小沢氏を応援する一文を書いた。君は政界で目の敵にされているが、議員を辞めて故郷の水沢に帰ってしまえ、そうすれば政界は君の存在の大きさに気づく。その時に政界に戻ってくればいい─というのだ。その一文もあって、小沢氏が「先輩を呼びつけるわけには行かない」と〝礼をつくす形〟をとったのだ。


これには後日談がある。この夏、小沢氏は江藤さんを新進党研修会の講師に招いた。その後、私が様子を尋ねると、江藤さんは「研修会で話が終わったら、それで終わりですよ」とポツリ。礼遇どころか冷遇されたと言外に語っていた。以来、私は、江藤さんの口から小沢氏を評価する言葉を聞くことはなかった。


慶子夫人ががんとわかったとき、病院近くのホテルに部屋をとり、1日10時間も付き添った。「慶子は私にたくさんの時間をくれました。今度は私が慶子に時間を返す番です」。見舞いに行った帰りしな、江藤さんは私にこう語った。


慶子夫人を亡くした後、「家内のいない家には帰りたくない」と帝国ホテルを住まいにしたが、ひと月もたたず再び鎌倉に。そのとき、「小林さん、ひとりというのは味気ないですねえ」と、しみじみ語った言葉が気になった。


そして、7カ月後。激しい雷鳴がとどろいた日に「諒とせられよ」との遺書を残して自裁した。愛妻家の江藤さんの心中を忖度すると、私は今も「諒」とせざるを得ないと思っている。



こばやし・しずお 元産経新聞政治部長 現在 エフシージー総合研究所常務取締役



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