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川内康範さん(後藤 謙次)2012年11月

月光仮面は生涯助ッ人

麻雀の役満貫のひとつに「天和(てんほう)」がある。麻雀好きなら誰もが一度はやってみたいと思う夢の手役だ。配牌の時点で「親」の和了(上がり)が完成している状態にある。プロでも「一生に一度お目にかかれるかどうか」と言われるほど希少な役だ。そんな珍しい役満貫の達成を記録した写真がある。四つ切りぐらいの大きさのカラー写真とともに卓を囲んだ四人の署名が残る。 


「天和萬福 平成四年弐月参日  竹下直子、竹下登、小渕恵三、おめでとう 川内康範」


天和を和了したのは竹下元首相夫人の直子さんだった。天和も驚きだが、4人の組み合わせは〝奇跡”に近い。今となってはいずれも鬼籍に入ってしまったが、写真を眺めていると往時の竹下邸の賑わいが昨日のことのように甦ってくる。今も夫人が麻雀に興じた部屋にこの写真が額に入れられて飾ってある。


竹下氏と生涯にわたる師弟関係を結んだ小渕元首相は分かるにしても、川内康範さんがなぜここにいたのか。竹下邸は来る者は拒まず。実に多彩な人たちが出入りをしたが、中でも頻度の点でも個性の点でも康範さんは異彩を放つ存在だった。当時の秘書の証言では、多い時は週に2回、少なくとも月に1度は竹下邸を訪ね、私もしばしば康範さんと話し込む間柄になった。


竹下氏と康範さんは誕生日が同じ2月26日で、恒例となった竹下邸での誕生会では竹下氏とともに康範さんが床の間を背に座った。康範さんが世に送り出した「月光仮面」「伊勢佐木町ブルース」「まんが日本昔ばなし」などなど、数々の作品はいつも時代を写す鏡のように輝いた。本人の著書に記した肩書きだけでも作詞家、作家、脚本家、政治評論家の4つ。とりわけ評論家を超えた政治に対する熱い思いをいつも竹下氏にぶつけていた。竹下氏も時おり、「国士も大変だわなあ」と苦笑いする場面もあったが、よく耳を傾けていた。


2000年に小渕、竹下両氏が相次いで他界した後も時おり直子夫人を訪ねる康範さんを見かけた。そんな康範さんの最晩年に騒動が持ち上がった。2007年のいわゆる「おふくろさん騒動」だ。歌手の森進一さんが康範さん作詞の「おふくろさん」の歌詞を勝手に改変したとして康範さんが森さんに「待った」を掛けたのである。テレビのワイドショーは連日、この問題を大きく取り上げた。その頃だ。突然、直子夫人から私の携帯電話に連絡が入った。


「康範先生に早く事態を決着させるように後藤さんからも言ってくださいよ」


早速、康範さんと連絡を取った。しかし、取り付く島がない。野中広務元官房長官も動くがらちが明かない。そのまま事態は動かず、翌年4月、康範さんは88年の生涯を閉じた。死の直前まで元気で、「月光仮面」の初放送から満50年の2008年を目指して同名の映画作りに意欲を見せていた。


私が共同通信を辞めてTBSのキャスターに転じた際、受付に康範さんから色紙が届いた。その後も励ましの「檄文」を何度ももらった。戒名は「生涯助ッ人」。竹下氏の生家にもその色紙が飾られている。義理と人情を何よりも大切にした破天荒な快男児。その康範さんをいつも快く受け入れた竹下氏。そんな大らかな時代は遥か昔の「おとぎ話」のようだ。



ごとう・けんじ 元共同通信編集局長 現在 客員論説委員


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