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岡本行夫さん(薬師寺克行)2012年10月

戦略を持つ“行動派外交官”

私の限られた経験からだが、優秀な外交官には2種類のタイプがあるようだ。現場を走り回り積極的に情報を集め交渉事を力強く前に進めていく行動派タイプ。個々の外交関係の歴史や交渉の経緯、現状に関するデータを緻密に集めて分析し戦略を立てて交渉に臨む理論派タイプ。どちらが優れているという話ではなく相互補完的であり、両者がそろうことで力ある外交が展開できるだろう。

この欄で紹介したい元外交官の岡本行夫氏は、戦略を持つ「行動派外交官」だ。1990年の湾岸危機では、国内法の未整備や官僚機構の縦割りという制約のもとで多国籍軍に対する輸送や物資などの協力実現のため奔走したが、諸外国からは「日本は金を出すだけで汗をかかない」と酷評される苦い経験をした。外務省退官後は橋本内閣で沖縄担当、小泉内閣でイラク問題担当の総理補佐官を務め、水面下で走り回った。沖縄には3年間で55回、出かけたという。当時の名護市長が普天間飛行場の移設を受け入れた背景には岡本氏の熱意あふれる説得があった。

私の岡本さんとの出会いは記憶に鮮明に残るものだった。1991年1月初めの深夜、外務省を担当しはじめたばかりの私はふらっと北米1課に入った。退官間際だった岡本さんは身の回りの荷物を片付けていた。挨拶すると、「あと数分で北米1課長が終わりです。これを使うのはいよいよ最後です」と言いながら名刺をくださった。直後に日付が変わった。

以後、岡本さんは公職にあろうがなかろうが時々の日本外交に関する発信を続けた。一方で、日本外交を取り巻く内外の環境は困難になるばかりだった。小泉首相の訪朝で拉致問題に対する国民の怒りが噴出し、首相の靖国神社参拝で日中、日韓関係も極端に悪化していた。国内世論が反北、反中、反韓という感情の高まりを見せ、政府に対して直線的対応を強く求めるようになると、日本外交は身動きが取れなくなっていった。世界に目を向ければ、米国・ブッシュ大統領の展開する正義と悪を単純に分けてしまう「二元論的外交」が広がっていた。

そんな中、月刊誌「論座」の連載企画「90年代の証言」シリーズに登場をお願いした。外交に不可欠な知的柔軟性や創造的行動、戦略的外交の持つ可能性などを冷静に語ってもらうためだった。

2007年から2008年にかけて五百旗頭真・防衛大学校長、伊藤元重・東大教授とともに進めたインタビューは数十時間に及んだ。岡本さんは毎回、膨大な資料を読み直し、記憶をよみがえらせて自ら語るべき内容を整理していた。一つ一つの話が、行動派外交官の血のにじむような記録だった。

日米同盟派の代表格の印象があった岡本さんが、「世界はアメリカを軸に回っているわけではない」と米国を相対化した世界観を語ってくれたときは、わが意を得たりという思いだった。日本全体についても「あまりにも内向きになって自分のことしか関心がない。どうしてもっとグローバルな視点を持たないのでしょうか」と嘆いた。

領土問題を契機に日中、日韓間の緊張がまた高まってきた。内政の混乱が続き、国会議員も国民も世界の動きに関心を持たない内向き志向が強まりつつある。再び「外交不毛」の季節に入ってしまうのだろうか。岡本さんの出番は終わりそうにない。



やくしじ・かつゆき 朝日新聞出身

現在 東洋大学教授


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