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私が会った紅衛兵世代の中国の作家 梁暁声氏(坂東 賢治)2012年8月

一言居士

日本の「焼け跡派」や「団塊」のように中国にも同じ経験を共有する世代を指す言葉がある。改革開放後に生まれた世代を「八〇後(パーリンホウ)」と呼ぶのはわかりやすいが、「老三届(ラオサンジエ)」は日本人にはなじみがないだろう。66年から68年に中学、高校を卒業した世代のことだ。


文化大革命(66~76年)で最も混乱した時期。「老三届」世代は3年にわたって紅衛兵として暴れ回り、教育秩序は無と化した。卒業後は僻地に「知識青年」として下放され、苛酷な生活を強いられた。「知青(チーチン)」もこの世代を指す言葉だ。


この世代の代表的論客の一人が作家の梁暁声(リアン・シアオ・ション)氏だ。49年黒竜江省ハルピン生まれ。自伝的小説『ある紅衛兵の告白』は日本でも翻訳されているが、子が親を密告し、幹部が打倒され、最後には内ゲバ的な武闘で無政府状態化する文革の実態がリアルに描かれている。


荒地で「北大荒」と呼ばれた同省北部地域の国営農場に下放され、7年を過ごした。その後、上海復旦大学で学び、77年の卒業後に北京映画製作所に勤務。80年代初頭に自らの経験を元にした小説を次々に発表し、名声を得た。


北京に駐在していた2000年初め、高官の腐敗や政治スキャンダルを取り上げたエッセーを読み、インタビューを申し込むと、快く引き受けてくれた。北京市北部の同製作所で会ったが、政治問題にもよどみなく答える姿に驚いた。


米国流の民主主義を「尊敬すべき面がある」と評価し、最高指導者が後継者を決める中国の政治体制はいずれ見直しを迫られると達観。貧困や失業問題に厳しい目をむけ、一人っ子政策が中国の伝統的な価値観を崩壊させるのではと懸念した。文革経験が懐疑主義につながっているように思えた。


「当局から睨まれませんか」と聞くと、「私はもうすでにそういう種類の人間だと思われていますから」とさらりと言う。一方で、梁氏のような一言居士はいずれ筆禍にあうのではと心配もした。


案に相違して梁氏は2003年から政治協商会議全国委員を務め、歯に衣を着せない発言を続けている。今年3月の会議の際も大手企業トップの高給を問題視し、「社長たちの給与が“神秘的”なままでは住民の意見を無視することになる」と批判した。


5月末から中国中央テレビで梁氏が「北大荒」の経験を元に脚本を書いた連続ドラマ

「知青」が放映された。文革を「悪夢」と否定する梁氏は「当時を幸福指数が最も高かった時代だと誤解する若者もいる」と指摘、「あの時代を知るものとして歴史をきちんと記憶する責任がある」と狙いを説明している。


実は、今秋の共産党大会で総書記に就任するとみられる習近平国家副主席ら次期最高指導部メンバーの多くは「紅衛兵」「知青」出身だ。ドラマの放映は指導層が梁氏と共通認識を持つことをうかがわせる。梁氏が主流の座を追われないのもそのためかもしれない。


付け加えれば、文革を思わせる政治手法で知られ、今春、失脚した薄煕来・前重慶市書記は梁氏と同学年。紅衛兵だったが、父親が高官だったためか、下放はされず、「知青」の経験はなかった。


ばんどう・けんじ 毎日新聞編集編成局次長



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