取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
私が会った エクソシストのアモス神父(秦野るり子)2012年7月
悪魔払いの武器は信仰心
「あなたから悪魔を払って差し上げようか」
「ひぃ~」
「大丈夫、大丈夫。あなたには憑いてないから」
国際エクソシスト協会の名誉会長であったガブリエレ・アモス神父と出合い頭に交わした会話だ。初めて見るエクソシストを前に私は、いつになく高揚していたと同時に、意味不明の恐怖心も抱えていた。だが、神父はのっけからちゃめっ気たっぷりで私をリラックスさせてくれた。
ローマ特派員であった2000年から2004年、私はイタリア政局よりも、どちらかというとバチカン取材にのめり込んでいた。キリスト教の素養がない身にとって、見ること聞くことが新鮮だったからだと思う。
ある日、取材の過程で、カトリック教会では、「エクソシスト」が公認されていることを知った。中世じゃあるまいに、世界に11億人の信者を抱える宗教が「悪魔払い」を宗教活動と認めるのかと驚いた。
リンダ・ブレア主演のハリウッド映画「エクソシスト」でその存在は知っていた。だが私にとっては、オカルト世界の住人でしかない。この世に存在するなら会って話を聞くしかないでしょう、というわけでたどり着いたのがアモス神父だった。
アモス神父は1925年イタリア北部モデナ生まれ。第2次世界大戦中はパルチザンとして銃を手にファシストと戦った。戦後は、少年時代から天職だと考えていた聖職者への道へと進んだ。ごく普通の神父としての生活が一変したのは、1986年のこと。ローマ司教代理から呼び出されて当時、イタリアで最も有名だったエクソシストの元で修業するよう命じられたのだった。
以来、「5万人から悪魔を払った」そうだ。そして、「悪魔とはラテン語で会話している」と語り、「悪魔にあなたは強すぎると言われた」とも言ってのけた。
実は、神父が、私を異教徒だと知りつつ、その取材を受ける気になったのには、エクソシストが存続できるのかという危機感があった。
新約聖書にイエスが悪魔を払ったという記述がいくつもあるから、カトリックの総本山であるバチカンは、今も悪魔払いを否定しない。一方で、精神科の医者に診せるなど、悪魔がついているかどうかの判断を慎重にし、むやみに悪魔払いをしないよう戒めてもいる。
欧州では、かつて一教区に最低、一人はエクソシストがいたが、今や絶滅の危機に瀕しているのだ。
アモス神父は、悪魔払いは、「超能力を使うものではない」「オカルトでもない」ということを繰り返し強調した。悪魔に立ち向かう武器は唯一、「あつい信仰心」。エクソシストになる資格は、カトリック神父で、所属する教区の司教に任命されることだけなのだそうだ。
話を聞き終わり、写真を撮りたいというと、神父は、やおら傍らのアタッシェケースを開け、悪魔払い用“三種の神器”を取り出した。十字架、聖水入れ、そしてミサの時に神父が着ける肩掛け「ストラ」だ。ストラを掛けてポーズを取ったアモス神父は、最後までサービス精神にあふれていた。
後日、記事にイタリア語の要約を付けて神父に送った。丁重なお礼の手紙が戻ってきた。だが、あの記事で、神父が望んでいたようなエクソシストの理解は進んだのだろうか。振り返るに、おもしろがり過ぎだったようでもある。
はたの・るりこ 読売新聞調査研究本部主任研究員