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司馬遼太郎さんと「密会」(秋岡 伸彦)2012年3月

優れた者こそ百姓に

紙面づくりが派手になった今ならさほどでもなかろうが、5段抜きの顔写真は当時、いかにもデカデカと目に映った。

 

読売新聞夕刊一面で連載企画「顔」が始まったのは、1975年10月だった。各界の著名人にご登場いただき、小さな記事を添えた。斬新な企画だったとすれば、社会部の遊軍記者たちが担当したことにもあったかもしれない。

 

経済成長がついえて、社会のタガが外れた時代である。狂乱物価、田中金脈、連合赤軍、企業爆破…。それらの取材に汗を流した記者たちが一転、この企画で冷や汗、脂汗をかくことになる。

 

柳家小さん(5代目)、林健太郎、檀ふみ、本田宗一郎各氏と、こう並べたのは、執筆メンバーに加わった私が当初お会いした方々である。人選に脈絡がない。お会いしたい、お話を聞きたいとの一念で選んだというのが内実だった。

 

とはいえ、相手の都合もある。この人にぜひと私が勝手に思い定めて、最も難渋したのが司馬遼太郎さんだった。

 

まずはお忙しい。予定は先々まで埋まっている。大体、この手のインタビューは受けないとも聞かされた。そうなれば、こちらも意地だ。人を介して、あれこれの挙げ句、ついに折れてくれた。

 

年の瀬、築地の料亭である。玉木雄介カメラマンとふたり、通されたのは1階奥の、控えの間といった感じの小部屋だった。

 

実は2階の座敷で、ある出版社主催の座談会が催されていた。出席している司馬さんは折を見て中座、階段をとんとんと下りて来てくれたのだ。出版社にはまことに失礼したが、多忙のなか、司馬さんの優しい気配りだった。

「4、5分だけだよ」と、いたずらが成就したような笑顔で、そう釘を刺されて、なにやら密会めいたインタビューとなった。

 

「ぼくはね、懐古趣味はないし、昔話はきらいなんですよ。人間や人生を考えるために、幕末や明治にまぎれこんでいるだけでねえ」 

 

手元に、そのときの録音テープがある。時間を気にしつつの、拙い質問ぶりに、また冷や汗が出るが、司馬さんは独特の早口で、熱を込めて答えてくれた。

 

短い記事では、残念ながら割愛せざるを得なかったお話の一部をぜひ紹介しておきたい。

 

「もう二度と、あんなヘンな高度成長は来ない。それも、他人より地所持ちになりたい、地面をカネにしようなんて。土地に固執するのは、源頼朝の関東政権成立からのさが(性)だな。それが露骨な形で体質化してしまった」

 

「日本は資本主義のルールを外れたほどの競争社会です。明治維新以来、学校の成績のいい者が都会に出ようとする。これからは、優れた者こそ農村に戻る、百姓になる。そんな時代になると思う」

 

37年前の言葉が今の世にも痛切に訴えかけてくる。

 

かくて、インタビューは30分を超えた。テープの最後に、司馬さんの「愚痴」が入っている。

 

「こんな所に出るの、きらいなんでね。大阪の人に悪かった悪かったと言っておいてくださいよ」

 

大阪の記者たちのインタビューを断り続けていた。それを気にしての、これも優しい心配りだった。

 

 

あきおか・のぶひこ 日本エッセイスト・クラブ理事 元読売新聞「編集手帳」執筆者

 

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