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新春 随想 復興元年 再生へ 心ひとつに(一力 雅彦)2012年1月

新春 随想 復興元年 再生へ 心ひとつに

 

一力 雅彦

 

河北新報社代表取締役社長

 

静かで穏やかな冬の海に朝日が映える。被災地で見る美しい風景に、自然の非情さを感じる─。

 

犠牲者の方々にお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々が一日も早く元の生活を取り戻してほしいとただただ願うばかりである。

 

 

特別な年が明けた。未曾有の被害をもたらした東日本大震災は、かけがえのない尊い生命を奪い、そこに暮らす多くの人の生き方を一瞬にして変えてしまった。

 

あの日から10カ月。被災地では今なお3千人を超す行方不明者の捜索が続けられ、自宅やふるさとを失った多くの人が仮設住宅などでの生活を余儀なくされている。

 

内陸部の一部の市街地では賑わいを取り戻しつつあるが、津波の被害を受けた沿岸部では、家のコンクリートの基礎部分だけが更地に広がり、まだあちこちに破壊された車や、陸地に揚がった漁船が放置されたままになっている。

 

地盤沈下した土地で、2階部分だけでの生活を強いられている人も少なくない。

 

街のがれきの片付けは進んだが、空き地などに設置された「1次仮置き場」に積まれたままだ。膨大ながれきは、放射性物質への懸念などから行き場を失っている。

 

例えば石巻市だけで発生したがれきの量は600万㌧を超す。近隣市町と合わせ、震災前の年間処理能力は5万㌧で、実に120年分を超える量だ。同市は「2次仮置き場」の建設に着手したが、それでも300万㌧近くは県外に搬出して処理する計画で、搬出先の選定は難航している。

 

津波被災地から高台への集団移転に関しても、住民の合意形成や地権者との交渉など課題は山積している。移転先に家を建てる場合、建築費は自己負担になる。元の場所で再建を望む声も根強い。

 

太平洋沿岸の鉄道は、津波で多くの駅舎や線路が流されたが、路線を高台に移す場合には巨額の費用と長い時間がかかり、見通しは立っていない。

 

このように、復興の前段である復旧すらままならない厳しい状況が沿岸部の被災地では続いている。東北は今も大震災のまっただ中にある。

 

今後、復興へ向けて確かな一歩を踏み出す地域との地域間格差や、業種間の格差が拡大する懸念もある。震災から日がたつにつれて新たな問題が次々と起こっているのが現状だ。

 

 

復興元年にあたり、地域の再生へ向けて地元紙として果たすべき役割の重さをあらためて自覚している。

 

被災地にある新聞社として河北新報は、震災以来、被災者に寄り添う報道に徹している。困難を乗り越え、復興に立ち向かうためには3月11日に広い範囲で起きた事実と、その日を境にした変化をきちんと後世に伝えることが新聞の大きな役割だと思っている。被災者それぞれの「3・11」があり、貴重な証言をまだまだ伝え切れていない。今後も検証報道を続けていく。

 

震災当日は、長く激しい揺れで組み版基本サーバーがラックごと倒れたが、災害援助協定を結ぶ新潟日報に紙面づくりをお願いし、当日の号外と翌日の朝刊を発行できた。

 

その後は新聞用紙とガソリン、水そして自家発電に使う重油の4品目が不足し、非常事態が続いたが、全国の新聞社や通信社の支援をいただき、危機を乗り越えることができた。こうしたご恩は決して忘れてはならないと胸に刻んでいる。

 

震災直後、大規模な停電が続き、通信は途絶え、交通は完全にマヒしたが、新聞を発行、配達したことで、生活に欠かすことのできない情報インフラとしての新聞に対する信頼度が高まっており、大きな励みになっている。どんな困難な状況でも一部一部が確実に読者の手に届けられる態勢は、これからも維持していかなければならない。

 

復興への道のりは長期にわたるだろうが、復興を支えるのは「共助」の精神である。長引く避難所生活や、その後の仮設住宅では、町内会や自治会など地域で支え合う力が随所で発揮された。沿岸部では特に、長い歴史の中で培ってきた結(ゆい)という共同体の意識も示された。復興へ歩み出した地域に共通するのは、町内会や組合などコミュニティーが機能していることだ。

 

甚大な被害を受けた太平洋側の地域に対し、日本海側の地域社会から温かい支援も相次いだ。

 

例えば仙台市の沿岸部の町内会に震災からわずか4日後に、山形県尾花沢市と新潟県小千谷市の町内会から救援物資が相次いで届けられた。町内会の集会所には住民約100人が避難していたが、市の指定避難所ではないため、公的な救援物資は来なかった。持ち寄った食料が少なくなった時の、他県からの支援だった。独自に締結していた災害時相互協力協定に基づく支援で、自治体間ではなく「日ごろの顔の見える」町内会同士のつながりが成果を挙げた。

 

被災地では今も、全国から駆けつけたボランティアの人たちが奮闘している。企業やNPO、行政、大学などが連携してさまざまな試みも始まっている。震災の現場から新しい活動が確実に生まれつつある。芽生えた共助の機運を復興の原動力に生かしたい。

 

 

当社では、東北の再生を目指し提言をまとめ、元日の紙面で発表した。「おこす」「むすぶ」「ひらく」の三つの基本理念を掲げ、東北全体の新たな姿を描くことで、復興に少しでも役立てていただきたいと願っている。

 

具体的には、被災の教訓を踏まえ、災害に備える技術、製品を生み出す「減災産業」の集積や、多様な協業化による三陸の水産業振興、自治体による災害時支援の新たな枠組み、地域再生ビジターズ産業の創出、地域に密着した再生可能エネルギー戦略など11項目を示した。

 

今後、連載企画やシンポジウムなどを展開し、幅広く意見を募りながら、実現へ向けて取り組んでいく。自然と調和した暮らし、家族やコミュニティーの強い絆など東北の特性を生かし、小さな人口規模でも持続可能な先進モデルづくりや、新しい産業システムの創生を目指す。

 

このため、既存の枠にとらわれない大胆な規制緩和や資金調達方法などを求めていく。復興には多額の費用、大きな労力が必要になるが、東北の再生が日本の成長の起爆剤になり、東北から日本を変えるという気概を持ち続けたい。時間はかかっても元気な東北の姿を示すことが、多大な支援への恩返しになると思っている。

 

 

時間の経過とともに被災地では、「災害の風化」への心配が高まっている。次第に被災地への関心が薄れ、忘れ去られてしまうのではないかと。時は残酷で、過去の幾たびの震災のケースでも明らかだ。被災地ではこれまで全国、世界の多くの人たちから励まされながら、それを支えに「自分たちは孤立していない」「多くの人とつながっている」という強い思いで厳しい現実に立ち向かってきた。復興はこれからが正念場。被災者が少しずつ元気と笑顔を取り戻し、一歩一歩前へ進めるよう、息の長いご支援をお願いしたい。

 

「再生へ 心ひとつに」。当社が震災後から朝夕刊1面で連日、読者に呼びかけているメッセージだ。

 

今後も被災者に寄り添い、被災地の実態を丁寧に拾い上げ、発信することが一層大切になっている。東北の再生に向け、ともに歩む新聞社としての使命を果たしていく決意を新たにしている。

 

いちりき まさひこ 1960年仙台市生まれ 立教大学経済学部

東京大学新聞研究所卒 1986年河北新報社入社 88年共同通信社出向 95年河北新報社編集局次長兼特報部長 97年から02年まで編集局長 代表取締役専務 副社長を経て 05年代表取締役社長

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