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私が会った若き日の先崎一さん 初代統合幕僚長(片山 正彦)2011年8月

“ちょっと待て”の教訓

実はどういう人物なのか知らないが、私はサルスベリー卿という人の言葉を講演などでしばしば引用してきた。その言葉は何かで見かけて気に入って、メモしてあった。


「医師の言うことを信じるならば、健康にいいことは何もない。神父を信じるならば、罪のないものはだれもいない。軍人を信じるならば、安全なものは何もない」


こんな言葉を気に入っていた私が、1981年から83年にかけて防衛庁(現・防衛省)の担当になった。当時防衛庁は六本木の、いま東京ミッドタウンとなっている場所にあった。私は「軍人(自衛官)の言うことをまともに信じたらロクなことはないぞ」と自分に言い聞かせて、その正門をくぐった。


ようやく仕事に慣れたころ、陸上自衛隊幕僚監部(陸幕)広報班(後に広報室)に、私が自衛官に抱いていたイメージを一変させる人物が現れた。北海道・遠軽駐屯地から陸幕広報班報道係に赴任してきた若き日の先崎一さん(当時36)だ。

 後に先崎さんは陸自トップの陸幕長から全制服トップの統幕議長に上り詰め、組織改編で初代の統合幕僚長に就任。現在は退官し、NPO法人「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)会長を務めている。


当時の先崎さんの階級は2佐。米軍に倣って記者は中佐、つまり2佐相当の扱いと言われていた。陸幕広報班報道係と同格である。おまけに先崎さんは年齢こそ私より1つ上だが、防衛大学時代に柔道で腰を痛めて手術し1年留年したため、私と同じ年の学卒だ。同格で同期、私は人なつっこい先崎さんとたちまち仲良しになった。


よく夜の六本木を散策、一緒に飲んだ。究極の平和は軍隊のない世界だと思っている私を相手に、先崎さんはくそ真面目に議論した。楽しく為になる議論だった。


ある日の勤務時間を終えた夕刻、街へ出る前に、陸幕1階の広報班の部屋でちょこっと飲み始めていた。そこに北部方面隊(札幌)から電話が掛かってきて、先崎さんが出た。電話の最中に窓の外に陸幕長が車に乗り込む姿が見えた。先崎さんは受話器を置くと、脱兎のごとく部屋を飛び出して陸幕長の車に駆け寄り、ドア越しに何かを報告した。


電話の内容は、北部方面隊で発覚した自衛官の昇任試験の漏えい問題についてのニュースだったと、後で分かる。組織のラインを踏み超えて、いきなりトップに緊急情報を報告する姿を目撃し、この人は本能的に危機管理を身に付けている人だなと感心した。


1983年9月1日、サハリン沖で旧ソ連の戦闘機が、領空侵犯した大韓航空機をミサイルで撃墜した。民間機に対してなんて酷いことをと、日本中がいきり立った。ちょっとでもソ連をかばうような記事を書くと“非国民”と言われかねない雰囲気だった。


そんなとき、先崎さんは「日本人は怖いですね」とつぶやいた。そして私にこう言った。「国民が“やれ、やれ”って雰囲気になることが一番危険です。片山さんたち(注=ジャーナリスト)は“ちょっと待て”と言い続けてくださいよ」と。私の自衛官に対する先入観は、その言葉を聞いた瞬間に消えた。この人は信用できると心の底から思った。“ちょっと待て”の教訓を、私は忘れない。


かたやま・まさひこ 元・共同通信社社会部記者




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