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冷戦時代のオフレコ発言(野上 浩太郎)2005年3月

「非核2・5原則」だった
これは「聞いたけれど書けなかった話」である。

ときどきあるケースで、「これだけは書いてもらっちゃ困るし、しゃべられても困る。もし書いたりしゃべったりするのなら、私は言わない」とあらかじめ相手から言われる。記者を職業としている人なら「分かった。絶対に書いたりしゃべったりしないから、言ってくれ」と言うに決まっている。

私もそうだった。いまから20年近く前の話だ。話の中身を聞いて、さすがの私も「これは書けないなあ」と思った。けれども、今回、多くの読者のいるこの欄に書くのだから、ついに約束を破ることになる。

理由は、国際情勢がその後大きく変わり、むしろ多くの人々にこの話を知ってもらったほうがよい、と判断するに至ったからである。
「なあんだ。そんなことをもったいぶって書くな」と思う人は、途中で読むのを止めていただきたい。

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話題は、新しく閣僚になった人物に対する官僚たちのレクチャーである。その中身は日本への核兵器の「持ち込み」問題だ。以下、私に語った相手の発言内容に沿って箇条書きする。
一、新しく外務大臣になった人には、冒頭必ず「特別のレクチャー」をする。そのテーマは日本への核兵器の持ち込みに関することである。

一、国是として非核3原則があるのはご承知の通りだ。「(核を)作らず、持たず、持ち込ませず」である。このうち厄介なのが「持ち込ませず」で、実は米空母や艦船が核兵器を積んだまま日本の港にいったん入って短期間で出港しても「持ち込みには該当しない(従って禁止されない)」ことを、日米両国政府間で秘密裏に約束している。

一、この約束は厳重秘密扱いとなっており、新外務大臣は決して口に出さないでいただきたい─。

つまり、新しい外相は就任早々、外務官僚から、国民に「うそ」をついてください、と要請─確約させられるわけだ。

これを聞いた瞬間、私は一瞬、呆然とし、相手が自分をからかっているのではないか、と思った。だが、長い付き合いのあるこの相手は、こんなときに私にうそをついてからかうような人柄ではない。題材からいっても、記者をからかうような性質のものではないだろう。

この発言の中身をいまさら「解説」するのも気が引けるが、最低限の背景説明は必要だろう。

つまり、これは当時から論議と疑惑の対象になっていた「非核3原則」が、実は「2・5原則」であり、歴代外相はそのことを就任時に頭にたたき込まれることを意味している。

「持ち込ませず」の中に実は2種類ある。米軍基地の一部である港湾の倉庫などに長時間、保管するための「持ち込み」と、入港した米空母などがすぐ持ち去る短期間の「持ち込み」である。日米両国政府は前者が「持ち込み」であり、禁止の対象となるが、後者は「持ち込み」には該当しないと解釈し、この解釈を厳重秘密扱いの密約にした。

恐らく日米2カ国語で書かれた密約の中身は、英語で言うと、後者の「導入」が「introduction」、前者の「保管」が「storage」らしい。私がこの話を聞く直前に、ライシャワー元駐日米大使が毎日新聞のインタビューで、この区別を明らかにしたように記憶する。

これを外相が交代するたびにぺらぺらしゃべられては大変だから、極秘事項とし、就任時のレクチャーの冒頭、特に念を押して頭にたたき込んでいただく─というわけだ。

今では核の持ち込みか、そうではないかは、大きな安全保障上の課題ではなくなった。やはり米ソ冷戦体制が崩壊し、超大国が大量の核兵器で対峙する状況が消滅するという、国際情勢の変化が大きい。

非核3原則であろうと2・5原則であろうと、それが政治や外交を揺さぶるような事態ではなくなった。

それでも、 冒頭のやりとりは冷戦崩壊よりも約10年前、 まだまだ非核3(2・5)原則がホットでぴりぴりしたテーマだった時期のことである。
                             
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そんな時期に完全オフレコとはいえ、よくぞ大胆な暴露をしたものだと思う。この時期、ライシャワー発言が飛び出し、その数年前には米海軍のラロック元提督が米議会の秘密公聴会でこれまた大胆な発言をしたばかりだった。

ラロック提督は「日本に入港する際、艦載機に装着した核兵器をどこかの島に積み下ろして、それから入港したことなど一度もない」と正直に証言した。

1974年秋、田中角栄内閣の末期である。当時のワシントン特派員のS氏が、電話帳のように分厚い秘密公聴会議事録を読み通し、証言のこの部分を発見したのである。

その時期、私は共同通信の首相官邸クラブのサブ・キャップだった。外務省出身の長官秘書官に特にお願いして長官室にもぐり込み「ラロック証言」に対する日本政府の反応を聴いた。

「君は俺に何を言わせたいんだ!」─。これが二階堂進官房長官の反応だった。どう答えればいいのか、二階堂さんには分からなかったらしい。

そこで、外務省出身秘書官が本省と協議の上、編み出したのが「ラロック氏はいまや海軍を引退した民間人だ。民間人の無責任な発言に、日本政府はまともに応答できない」というものである。これが内閣官房長官のコメントになった。

それから数年後。こんどはライシャワー元教授のインタビュー発言が飛び出した。鈴木善幸内閣当時で、官房長官は宮澤喜一氏、外相は園田直氏である。

教授の発言は、自分が駐日大使の時期に、大平正芳外相(当時)との間で取り交わした密約の中身だ。核持ち込みの中の「貯蔵」と「導入」の区別まで英語で述べた緻密な証言だった。

それでも日本政府・外務省は頑固で小心だった。「日米両国政府間には本格的な信頼関係がある」「核兵器を日本国内に持ち込む場合には米政府は必ず事前協議にかける約束である」「これまで一度も核持ち込みの事前協議を言い出したことはなく、従って日本政府は持ち込みがなかったと確信する」─。

国会や記者会見で何を聞かれても政府答弁はすべてこれだった。

唯一の例外は園田外相が、野党の追及にたまりかねて「あんまり追及するとヤブヘビですよ」と答えた珍答弁だけだった。あまりしつこく3原則の破綻を突っつくと2・5原則にされてしまうよ、という意味らしかった。

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ところでこの時期、1976年秋から3年間、私は共同通信のワシントン特派員をしていた。某紙が、横須賀に入港する米空母が核兵器を搭載している、とのスクープ記事を大々的に報じた。

私が追いかけ取材を始めようとした矢先、駐米日本大使館の参事官氏から「国務省のジャパンデスク(日本部)に、この記事についてのコメントがあるらしいよ」との電話。米国の核問題について、日本の外交官がコメントの有無を真っ先に知らせてくるのもいささか変ではある。

だが米政府コメントの中身は、日本政府のいつもの答弁と同じだった。「核兵器を持ち込もうとする場合は、必ず事前協議にかけるというのが日米両国政府間の約束である」「今回も米政府が、日本側に事前協議を提案した事実はない」「米政府は一連の日米間の合意や取り決めを忠実に順守する」─。

私はこの参事官氏が事前に国務省に出向いたこともキャッチしていた。米政府のために、この人がコメントを書いたのだな、と私はにらんでいる。

ちょうどこのあと、帰国した私は、新外相に密約漏洩を禁じる外務官僚の特別レクチャーのことを聴いたのである。今でもあの発言そのものがウソかもしれない、との思いがかすめる。だが発言者の度胸満点の性格を思うと、やっぱり本当なのだな、という気がしている。





のがみ・こうたろう 1938年生まれ 62年共同通信入社 科学部 政治部 外信部を経て76年から3年間ワシントン特派員 政治部長 整理部長 編集委員室長などを歴任 98年定年退社後は駒沢大学専門委員 渋谷教育学園幕張高校非常勤講師として論作文指導 著書に「政治記者」(中公新書)「現代政治がわかる古典案内」(中公新書ラクレ)
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