ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


第8回(ハバロフスク・ユジノサハリンスク)極東ロシア・エネルギー資源(2008年9月) の記事一覧に戻る

飛べ!アントーノフ(佐々木 正明)2008年9月

毎度のことなのだが、ロシアで地方と地方を結ぶ飛行機に乗る前は、「これで俺もおしまいか」とつい弱気になってしまう。今回、取材団の予定表をもらったとき、どんなスケジュールよりも真っ先に目に入ったのは、ハバロフスクからサハリンまでの移動手段がロシアの地方航空会社を利用することだった。

その危険ぶりは札付きだ。某誌が定期的に行っている特集「危ない航空会社ランキング」では上位の常連だし、航空機のあまりの老朽化ぶりに、これまでも、友人から「ま、死んだら運命だな」などと冗談とも本気ともつかない言葉を聞かされていた。

ロシアの地方航空会社はソ連時代に、国営アエラフロートが使い古したソ連製の飛行機を今も利用し続けており、その大半は現在の国際基準を満たしておらず、日本の空港には降り立つことができな
い。アフリカではソ連製の航空機事故が多発している。

ハバロフスクの空港で見たソ連製アントーノフのプロペラ機は、案の定、古かった。搭乗する前に「最後の記念に」とカメラを取り出したら警備員に止められた。機内は張りぼての映画のセットのようで、座席につくと、いかつい顔をした機長が鼻歌まじりで側を通り過ぎていった。

私が「頼んまっせ」と背中に念力を送ったことも知らずに・・・・

2時間後、アントーノフは無事に、サハリン・ユジノサハリンスクに下り立った。到着前、飛行機は市街地をかすめるように大きく旋回した。私はアントーノフの翼に向かって、「ごらん、あれがユジノサハリンスクの光だ」とまるでリンドバーグのように独りごちた。同行取材団の誰も、こうした心境を口にすることはなかったが、きっと私と同じ気持ちだったのではなかろうか。

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