取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
アオザイ(羽石 保)2009年9月
ベトナム女性の民族衣装、アオザイはどこに消えてしまったのか。サイゴンが陥落する1年前、そのアオザイをまとった女性を多く見かけた記憶が今なおよみがえる。黒は年配の方、白はその多くが10代の学生であり、何ともまぶしかった。
年ごろになると男性の目を引こうと、思い思いに鮮やかな刺繍をアオザイにほどこす。長きにわたる戦いが兵士の命を奪い続け、結婚適齢期の女性2.5人に対し男性は1人、しかも女性の大半は定職にありつけず、悲惨な状況を強いられていた。刺繍が素敵であればあるほど痛ましくもあった。戦いは織物産業を疲弊させ、生地のほとんどは日本からの輸入品だった。
今回、取材団が訪れたのは四季のあるハノイ。アオザイと遭遇したのは私たちが宿泊したホテル、そのエントランスホールでドアを開け閉めする女性たち、そしてレストランのウエートレスくらいだった。ホーチミンと名を改めた?常夏?の旧サイゴンとハノイとを同列に語ること自体、そもそも無理があるのかもしれないが……。
キヤノンが進出した工業団地で「この国の女性はよく働く。労働力としても男性より質が高い」と聞かされ、何とはなしに納得した。今、ベトナムを牽引しているのは勤勉、かつ逞しき女性であり、風で裾がひらひらと揺れ、優雅ささえ漂わせるアオザイは、もはや日常の生活にはなじまなくなっている。
8千万人を超える人口の6割はベトナム戦争に終止符が打たれた1975年以降、つまり、戦後生まれで占められているという。女性に社会進出の機会が増えてくれば、アオザイとの出会いがめっきり減ることも、ごくごく自然な現象と言うべきなのだろう。ベトナム女性の今を、そんなふうに頭の中で整理してみた。
それにしても、あの米軍にゲリラ戦を挑み、国土から追い出したすさまじい男性の底力は、一体どこに眠っているのか。当時から、男性と一緒に戦場に赴いた女性兵士の方が戦にたけていたのだろうか。
宗主国のフランスや米軍などと戦ったベトナム軍の総司令官、ボー・グエン・ザップ将軍は95歳になる今も健在だという。ホーチミン廟近くにあるの将軍の邸宅前で、失礼ながら、ふとそんな想像をしてしまった。