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第6回(インドネシア、ベトナム)日本進出企業に政治改革の光と影(2007年2月) の記事一覧に戻る

初もの ハノイ、ジャカルタ(高見 俊彰)2009年9月

 モスクワ特派員として、約9年半を過ごした私にとって、アジア、とりわけ東南アジアは、まさしく未知の国々である。中国と韓国は訪れたことがあるが、ベトナムやインドネシアとなると、なかなか想像がつかなかった。お国料理すら、日本で食べたことがないほどだ。

 若干の不安を抱いて乗り込んだ飛行機の中で、私はあれこれ考えを巡らせていた・・・。

 ところがどうだろう。着いて、薄暗い街灯の中をバスが走り抜け、翌日は翌日で、旧市街の中、洪水のようなバイクと人の波を見ているうちに、なぜか「懐かしさと親しみ」の感情が湧いてきたのだ。まるで昭和30年代の日本にタイムスリップしたようだ。若者たちの人なつっこい笑顔に「癒やされた」と言ってもいい。そう、ベトナムは、とても若い国なのである。ベトナム戦争以後に生まれた人の数が、人口の62%を占めるという。

 VISTAのトップ・Vで始まるベトナムは、一党独裁のベトナム共産党が、うまい具合に手綱を取りつつ、国の発展をコントロールしている。これを「勤勉な国民性」と「豊富な若年労働力」が後押ししている。戦時中、日本と直接、戦火を交えなかったことも「親日の意識」に弾みをつけている。というより、10年に及ぶベトナム戦争を戦ったアメリカに対してすら、もはやわだかまりはないという。ベトナム人の特徴は「水に流す」こととか。仏教国らしいと言えば、そのとおりで、よく言えば、水際だった「現実路線」が根底にある。

 ただ、全ては「インフラの迅速な整備」にかかっている。首都ハノイと南部のホーチミン(旧サイゴン)間の鉄道が、1日1便でしかも38時間もかかるという、今のレベルでは、将来、立ちゆかなくなるだろう。日本の支援で新幹線を作ろうというプランもあるようだが、いろいろな意味で、良きパートナーシップを築ければと思う。

 一方、インドネシアだが、こちらはスハルト長期政権の時代に象徴されるように、日本との緊密な交流関係が、既に長年月、築かれてしまっている。それが悪いというわけではなく、むしろ資源戦略の意味からは当然のことなのだが、滞在した印象で言うと、ベトナムで感じたほどの「驚き」は、正直なかった。それだけ日本企業が現地に溶け込んでいるということだろうか。現地の人達も「日本人慣れ」している印象だ。

 ただ、世界最大のイスラム国家である、インドネシアとのつきあい方には、それなりの苦労も伴う。トヨタ現地法人の社長が「走行中に運転手がお祈りをしたいと言えば、直ちに車を止めさせ、好きなだけ祈らせる」と語ったことに象徴されるように、最大限の配慮が必要ということだ。

 過激なテロが再発しないという保証はない。2万5000人以上の邦人が生活している以上、安全に関心を持つのは当然だろう。最後に、バリ島の印象だが、やはりまだまだ寂しい。観光客が一日も早く、かつてのレベルに回復してくれることを期待したい。

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