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第6回(インドネシア、ベトナム)日本進出企業に政治改革の光と影(2007年2月) の記事一覧に戻る

-日本記者クラブ第6回アジア取材団:インドネシア、ベトナム(2007.2.25~3.5)- 日本の投資先の変化を実感 ― 政治改革の光と影も(脇 祐三)2007年2月

日本記者クラブのアジア取材団は今回、2月25日から3月5日までの日程でベトナム、インドネシアを訪れた。世界の変化のスピードは速く、経済情勢の変化は政治環境の変化と表裏一体でもある。日本企業の投資先として脚光を浴び始めたベトナム、長年の投資先であったインドネシア。両国がどう変わり、日本企業はそれにどう対応しているのか。現地での見聞によって得るものは多かった。

■ブームのベトナム 

ハノイではまず、「中国以外の生産拠点が必要とする進出企業が増え、日本人ビジネスマン来訪は増加の一途」との声を聞いた。最近は社長が自ら訪れる企業が多く、昨年11月のAPEC首脳会議の際に安倍首相も訪問した。

ハノイは相変わらずバイクの洪水だった。それでも2002年秋にアジア取材団で訪れたときと比べると、四輪車も増えた。かつて目に付いた「HANDA」とか「HONGDA」とかいう怪しいバイクは、見かけなかった。ほとんどは、ちゃんとしたホンダやヤマハだ。今年1月に世界貿易機関(WTO)に正式に加盟したベトナムが、知的財産権への認識を強めた結果でもあろう。

住友商事が開設したハノイ郊外のタンロン工業団地は、第1期分、第2期分が完売となり、第3期分の用地販売も順調。今や日本企業の大集積地になっている。その先導役といえるキヤノンの工場では、現地従業員が部品や工具などの内製化を進めており、特産の竹を使った備品が多いのも印象的だった。

初の海外拠点としてベトナムを選んだ企業もある。自動車部品メーカーの広島アルミニウム工業は、納入先のヤマハ発動機やデンソーなどの進出に合わせてタンロンに工場を開設し、毎年5割増の勢いで現地生産を増やしているという。

ベトナムの国営企業も経営改革の最中。前回も訪れた縫製会社GARCO10は、株式会社に改組されたうえ、日本向け製品をワイシャツから5万円台のスーツにまで広げていた。道路や鉄道の整備の遅れなど問題も残るが、「要求が厳しい日本とのビジネスは競争力強化に役立つ」と語る国営企業の女性社長の発言は、改革開放・刷新政策の進展に伴うベトナムの活力を示していた。

■環境変化のインドネシア

1960~70年代から日本企業の進出が始まったインドネシアでは、環境変化への戸惑いも見られた。独裁政権が倒れ、民主化のプロセスが進んで、政治の意思決定は透明になった。その半面で政策対応に時間がかかり、“民主化のコスト”も顕在化しているようだ。

人口が2億人を超える大国の国内市場の大きさは、確かに魅力である。だが、最適調達、最適生産、最適販売をグローバルに追求する近年のサプライチェーン再編の流れの中で、インドネシアの拠点の位置づけがあいまいになったという側面も随所で感じた。

取材団が訪れたジャカルタ郊外カラワン工業団地にあるトヨタ自動車の工場では、タイの工場と生産車種を入れ替えて中東産油国向けの完成車も組み立て、南アフリカや南米向けにも部品を供給するようになった。トヨタらしい機動的な対応だ。基幹部品のエンジンを金型から一貫生産できる態勢は、早くから進出して現地化を進めてきた成果だろう。

インドネシアの悩みの一つは、有力産油国でありながら生産能力が頭打ちになり、内需の増加もあって原油の輸出量より輸入量の方が多い純輸入国に転じていることだ。取材団と会見したプルノモ・エネルギー鉱物資源相は、地方政府の権限強化の影響もあって資源開発に関する新たな法整備に時間がかかる状況に、理解を求めた。

取材の目玉であるベトナムのズン首相、インドネシアのユドヨノ大統領とのインタビューが最終的に実現しなかったのは残念だった。

両国とも対日感情は良好だが、「アジアの多くの人は中国よりも日本に好感を抱くけど、中国は怖い国、日本は怖くない国なのです」(ハノイの外交官)という一言も耳に残る。アジアの中の日本の位置についても、改めて考えさせられる訪問であった。

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