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「幸せの国」ブータンへ(村野 坦)2010年3月

 国王が「国民総生産(GNP)よりも国民総幸福(GNH)が大切」と説き、ほとんどの国民が政府の調査に「幸せ」と答えるという。これを「ブータンに魅せられて」(今枝由郎・岩波新書)で読んで、ぜひ一度行きたいと思っていた。2月下旬、その旅を実現させることができた。

  旅ともは旧知の元衆院議員夫妻と夫人の友人。予約した二つの団体ツアーが 成立せず「個人旅行」になった。

  早朝、バンコクを発ったブータン国営航空機はインドのバグドラに立ち寄り、ヒマラヤの山並みを望みながら5時間ほどでブータン唯一のパロ空港に着く。出迎えの英語ガイド氏(27)、かなり日本語を話す運転手さん(35)とともに7日間の旅が始まった。

  人口約70万、九州ぐらいの国土は山々の谷間に人が住む。そこをつなぐ道路は日光いろは坂なみのカーブと標高1000-3000mをアップダウンする。部分舗装で車線、ガードレールなしだから酔い止め薬と一定の覚悟がいる。

  首都ティンプーは個人商店がひっそり並ぶだけ。交通信号もない。ここで2日過ごした後、70キロ離れた古都プナカへ。年一度の祭り「ツェチュ」の見物が目あてだった。ここはティンプーより1000m以上低く亜熱帯の植物を見ることができる。

  祭りはブータン独特の、県庁と僧院が一体となった建物「ゾン」で行われる。この壁面にカラフルな布の巨大な仏画「トンドル」が1日だけ朝の3、4時間吊り下ろされ、法要が営まれる。たてよこ20x30もあるだろうか、朝7時に着いたとき、もうトンドルは掲げられていて、前の中庭で僧侶による仮面舞踊が低音の調べにのって始まっていた。周りを埋める僧衣や正装の人々ー大人も子どもも男は丈の短いドテラ風の「ゴ」に肩掛け、女は上衣に長いスカートの「キラ」。ゾンへの入場は正装が決まり。私たちも襟のある衣服で、と求められた。

  踊りや寸劇のパフォーマンスに出るため仮設テントに泊まり込むグループもある。日本なら論争になりそうなセクシーな場面も大らかに演じられていた。祭りの日は休日なので家族連れが多い。めいめいが石畳にゴザを敷き持参の弁当を広げてハレの日を楽しんでいた。黒い髪と目の風貌や柔らかな人あたりは、ひと昔前の日本人に通じるようだ。

  国教になっている仏教は山の向こうのチベットから伝えられた。家並みの中に仏典を染めた旗「ダルシン」が翻り、橋桁や樹の間に張ったロープに経文を書いた5色の布「ルンタ」が風に流れる。訪ねた農家の仏間には寺院なみの仏像が鎮座していた。こうした風景は07年秋に訪れたチベットと良く似ていた。

  明らかな違いは全体を覆う「空気」だ。チベットは中国領で自治区とはいえ政治も経済も漢民族の圧倒的な支配下にある。訪問の半年後、騒乱が吹き出す張りつめた緊張感があった。こちらは何かとインドへの依存度が高いものの、独立した王国で貧しくても穏やかな平和が保たれている。滞在中、物乞いや押い売りに一度も遭わなかった。これまで40カ国近く見て歩いて、こんなことは初めてだ。

  GNHは1970年代に先代の第4代国王が言い出した。2年制の大学へ行くと校舎入り口に「Gross National Happiness is more important than Gross Natianal product」のプレートが国王の名前とともにはめ込まれていた。幸福感は本来、一人ひとりの主観的なもののはず。GNP信仰へのアンチテーゼとしては分かるけれど数字に置き換えるのは難しいだろう。たまたま手にした英字紙ブータン・オブザーバーに中・高校長の名で「GNHは子どもにとって唯一の救済策」という一文が寄せられていた。国是とされているが、きちんと概念規定されているものではなさそうだ。

  同行の元議員氏は「やせ我慢か貧しさのカモフラージュか」と政治家らしい見方をしていたが、私は精神風土と自然や環境条件から生まれた考え、と受けとめた。 東京に戻った日に鳩山首相が仙石国家戦略相らと経済の新成長戦略をづくりに当たって国民の「幸福度」を指標化して盛ることを話し合った、と報じられた。これってGNHと同じじゃないの、でもこの国でできるのかな、と思った。
                                                   (2010年3月記)
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