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「美しい国」より「優しい国」(野村 彰男)2006年11月

 旅先の風景スケッチを趣味にしてから、年1回は夫婦で海外に出かけている。至るところ絵になる古い町並みに魅せられて、ヨーロッパへ行くことが多いのだが、ことしは9月の前半、朝日新聞時代の先輩、同僚のグループにまじってトルコ旅行に出かけた。

 夫婦連れ、父娘連れ、単独参加など総勢16人。我が家は夫婦と娘の3人で加わった。イスタンブールへ飛んで、ガイドのトルコ人青年と合流して1泊。翌朝すぐ国内便でイズミールへ飛び、そこからはバスでギリシャ・ローマ時代にかけて栄えたエフェスの遺跡やキリスト磔刑後に聖母マリアが移り住んだ家という小さな教会などを見学した。立て板に水の日本語ガイドを聴きながら、強烈な日差しの下、図書館や、大劇場、浴場、公衆トイレなど興味深い古代都市のあとをゆっくり歩いた。

 ただ、いかんせん見渡す限り崩れた大理石の柱や石の壁が立ち並ぶ灰色の風景の中をあちこち歩き回るので、小脇に抱えたスケッチブックは開かずじまいで終わった。その夜はクシャダシ泊まり。翌日はチェシメの博物館など見て海岸沿いのホテルに落ち着いた。ここでは、ホテルから暮れなずむエーゲ海を描いて満足した。

 次の日はエーゲ海で船遊びをしようと、沖に浮かぶ「ロバ島」へ船で向かった。近づいて驚いた。桟橋や周辺にロバが群れをなしているではないか。無人島に使役を終えたロバを放ってきたのだとか。おとなしいのだが、狭い桟橋にずらりと並ばれ、みんなへっぴり腰の上陸となった。

 ぎらつく太陽の下、さあ泳ごうと波打ち際に腰を下ろすと、ロバもぞろぞろ周りを囲む。大きな美しい目をしているのだが、追い払おうとしてもテコでも動かないのに根負けして、船を沖に停泊させて泳ぐことになった。エーゲ海でのうそのような贅沢な時間を満喫したが、明らかに一番楽しんでいたのはガイド君だった。

 と、まあここまでは普通の旅日記なのだが、夕方ホテルに戻ると胸にポツリポツリと水泡がある。そこから、わが旅の様相は一変した。最初は「クラゲに刺されたか」などと呑気に構えていたところ、一夜で胸から背中までぐるりと体の左半分を水泡の帯に取り囲まれてしまった。しかも猛烈に痛いのである。

 朝、仲間に話すと、病気に詳しいE夫人が「帯状疱疹かも」という。これ以後、ベルガマからチャナッカレへというバス移動はもちろん、古代の総合病院アスクレピオンやトロイ遺跡の見学などもすべて不景気な顔での、仲間には申し訳ない旅となってしまった。

 発症から3日目に、ようやくイスタンブール入り。バザール見物の仲間と別れ、待機していてくれた旅行社の日本人現地スタッフ・とも江さんの案内で病院へ急いだ。受付も看護婦も診察したトルコ人医師も親切で、「帯状疱疹だろうが、皮膚科の専門医のところへ行くように」と紹介状をくれた。しかも「治療はしていないから」と無料で。

 そこから紹介された国立病院へタクシーで急いだが、土曜の夕方とあって皮膚科病棟はひと気がない。心細い思いで薄暗い建物に入ると警備員がいて、訳を話すとやがて小柄な白衣の女医が奥から現れた。すぐ「帯状疱疹ね」と言い、当座の処置をして処方箋を書いてくれた。とも江さんが保険請求用の領収書を頼むと、アゼルバイジャン人だという女医さんは「そんな面倒なことをするより、私が黙っていればすむこと。日本とアゼルバイジャンの友好のために」と笑顔で握手しただけで、これまた治療費をとらなかった。

 病院の親切さ、優しさには痛みが和らぐ思いすらした。現地人の夫との間に息子がひとりいるというとも江さんの体験談によると、お年寄りや妊婦がバスに乗ると必ずだれかが席を譲り、停留所で待つ赤ちゃん連れの母親にでも気づこうものなら、バスが停まると乗客がわれ先にと降りて母子の乗車を助ける国だという。優先席が若者に占拠される東京とは別世界である。

 薬の効果はすぐには出ず、帰国までの2日半、味わいある風景に絵心を誘われつつ、我慢の旅が続いた。これを書いているいま発病から2ヶ月になるが、病院通いは続いている。「美しい国」より「優しい国」がいいという思いと、体力の減退を噛み締める日々である。(2006年11月記)
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