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アルタミラ(日比野 和幸)2006年10月

ぼくがアルタミラの洞窟に入れたのは、まったくの偶然だった。そこに世界最古といわれる絵が描かれていることは知っていた。でも絵を保存するために見学者は厳重に制限されていた。許可願いだけは出しておいたが、まず見込みはないものとあきらめていた。現場はスペイン北西部の荒涼たる大地で、まあ秋吉台に似た風景だ。近くにはなかなか風情のある古いパラドール(国民宿舎みたいなもの)もあったので、そこへ泊まりながら様子をみることにした。

そこに起こったのが湾岸戦争。世界はもとよりスペイン各地から来ていた観光客は、まるで引き潮のようにあっというまにいなくなった。さすがはヨーロッパ、戦争慣れがしていると思わせた。こちらは長期休暇中、さしあたってやるべき仕事もなかったからあわてて帰る理由はない。もともとが辺鄙なところなので、日本人ははじめから見かけなかった。だれもいなくなった食堂でぼそぼそメシを食い、牛糞の強烈な匂いに閉口しながら二日ばかりをぼんやり過ごしていたところへ、思いもよらず洞窟見学許可の案内が舞い込んだ。

すぐタクシーをとばして行ってみると、案内所ロビーは閑散としたもの。しばらく待っているところへ、子ども連れのおばさんが7、8人集まってきた。みんな地元の人たちで、ふだんは入れないところだから、知り合いの係員にすすめられてやってきたという。外国人はぼくら夫婦だけで、ガイドも売店も開店休業だったが、ともかくすんなり洞窟の中へ入れることになった。

暗い。迷路みたいな細い道を這うように進んでいくと、お燈明ぐらいの豆電球がついている現場に着く。狭い。絵は天井みたいなところに描いてあるから、薄いマットが敷かれた、ごつごつした褐色の岩肌に仰向けになるよりしょうがない。やっとそれが目にとびこんできたとたん、しびれた。

躍動する赤褐色の牛の群だ。何十頭もが駆けている。闘っている。寝ている。草を食んでいるのか、頭を垂れている・・・。

ただ、すごいと思った。博物館のガラス窓の中に展示されているのとは、まったく違った迫力があった。最初に思ったのは、ヒトはなんでこんな絵を描いたのか、ということだった。明日の糧を得るのがせいいっぱいだったに違いない穴居暮らし。そんな毎日のなかで、なぜだ、と思った。

だれが、とも思った。これを描いていた男(あるいは女)は、リーダーにこの絵を見つけられた時には、たぶんこっぴどく怒鳴られたのではないか。なんの役にも立たないことをやって、どうするのかと。でもその後でみんながこの絵の前に集まったのではないか。やあ、こいつはおもしろい、なかなかいけるじゃないか、などと言いながら・・・。

それが文化の始まりだったのだと思う。

文化とはおそらく、無用のもの。日々の生活の足しにはならないもの。でもそれが、動物とヒトとの別れ道だった。動物は生きるということではヒトよりはるかにたくましく、賢い。だが絵は描かないし、文字も綴らない。だからといってヒトが動物よりすぐれていると言うつもりはないし、より幸福になったとも思えない。ただ、ヒトはそうするよりしょうがなかった、と言うしかない。

だが、このごろになると、話はちょっと違ってきた。ヒトはもうそんな無用のものにかかずらわっている暇がなくなってしまった。それがIT時代というものらしい。試みに百年前の世界と現代とを比べてみれば、ことは一目瞭然だ。あらゆる文化が花開いていた昔、コンピューター・グラフィックだけの今。

ぼくらは、アルタミラノの古代人が生まれながらにしてもっていた、文化的衝動、といったものをすっかり忘れてしまった。「風簫々ヒルズの陰に日が落ちる」。               (2006年10月記)

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