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32年ぶりの旧婚旅行(橋本 達明)2006年8月

真っ青な天空に、矛先をかざしてそそり立つマッターホルン。優雅な純白のドレスをまとった欧州最高峰のモンブラン。渓谷を埋め尽くして眼前に迫るローヌ氷河・・・。息を呑む大パノラマが果てしなく拡がっていた。この夏のスイスである。
 
6月末、私は毎日新聞社の取締役を退任した。そのリタイア記念の旅だった。取材や社用出張は別として、家内と2人だけの海外観光旅行は、新婚旅行以来実に32年ぶりだった。政治部記者時代は「夜討ち朝駆け」の日々。「週一」の休みも定かではなく、盆や正月さえ何日もの連休は取りにくかった。管理職や役員になってからも、「有事」に社に駆けつけるべきその立場を考えると、夫婦でのんびりと海外に出かける気になれなかったのだ。

「暇になったら2人で行こうね!」と、待ちかねていた家内の“旅先予定リスト”は、フランス、カナダ、スペイン、ニュージーランドなど盛りだくさんだったが、「最初はやっぱりスイス」で意見が一致。旅行社も「7月は最適シーズン」とお勧めだった。

成田からチューリッヒまで直行便で約12時間。退屈しのぎに歴史やゴルフの本、MDなどを機内持ち込みカバンに詰め込んだが、まったく必要としなかった。サービスのスイス・ワインを「赤」「次は白」とお代わりし、うとうとしていたらあっという間に着いてしまった。

さて、真っ先に訪れたのはどこでしょう? いささか恥ずかしいが「アルプスの少女ハイジ」の舞台となったマイエンフェルトである。緑深い山々に抱かれて点在する小さな農家。窓辺には色とりどりの花が飾られている。カウベルを鳴らしのんびりと草を食む牛たち。あの可愛らしい娘が実在し、草むらからひょっこり飛び出して来るような気分になるから妙だ。観光用に建てられた「ハイジの家」を背景にポーズをとり、家内と互いに写真を撮りまくる。こんな姿をかつての同僚、部下に見られたれどうしよう・・・。
 
氷河特急やバスを乗り継ぎ峠を越える。地球温暖化で「氷河の危機」が叫ばれているというのに、ローヌ氷河では観光トンネルが掘られていた。こんなことが許されるのか。いや氷河どころかアルプス連峰の土手っ腹に、新たに欧州各国を結ぶ世界最長の、巨大なトンネルを掘削する工事が現に進行中という。

とはいえ憧れのスイスである。連日、登山電車やケーブルカー、ロープウエイに乗って名だたる山を見て回った。マッターホルンやモンブランをはじめ北壁登山で知られるアイガー、ユングフラウヨッホ。雄大で思わず見とれる美しい景観が、手を伸ばせば届きそうな目の前にドーンと拡がっている。その展望台自体富士山の頂上より高いのだ。九州ほどの面積しかないスイスに、4000メートル級の山が40近くあるという。これまで社内の山歩きの仲間といくつか登った「日本の百名山」がまさに、小さく見えま~す!

レマン湖に浮かぶ9世紀の古城「ション城」見物。小さなオモチャみたいな緑のSLと赤い客車のロートホルン鉄道の旅。咲き誇る高山植物の絨毯を眺めながら歩いた、尾根伝いのハイキング。どれも終生忘れられないものになった。十二分に堪能した「10日間のスイスの旅」。

帰りの機中はその思いに浸りながら、すぐ深い眠りにつくべきであった。それなのに「あの山腹の随所に見られた扉のようなものは、有事の際のシェルターの入り口らしいが核ミサイルは防げまい」「常備軍は数千人の規模だが、コト有れば一般市民が銃器を手に駆けつけ、48時間で50万人の軍隊が組織されると聞いたが本当だろうか?」「列強大国の侵略に抗しつつ永世中立を堅持しEUにも不参加をきめる一方で、観光立国、金融立国を徹底して稼ぐしたたかさ!」

まだ新聞記者気分が抜けきれず、あれこれ考えていたら眠る間もなく成田に到着。おかげで時差ボケがしばらくの間続いてしまった。(2006年8月記)
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