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シャングリ・ラ(石井 英夫)2005年10月

架空の国ユートピアを中国ふうにいえば桃源郷である。その桃源郷を訪れた話を書くとしよう。

中国・雲南省の奥地、それもミャンマーとの国境に近い山地のシャングリ・ラ。中国名で書くと「香格里拉」である。英国の作家ジェームズ・ヒルトン、といってもいまや忘れられている作家だが、そのヒルトンの小説『失われた地平線』(1933年)に描かれた理想郷の名だった。

1931年、インドの争乱を逃れて英国領事ら4人の乗客が飛行機で脱出するが、機はヒマラヤ山中に不時着し、パイロットは「ここはシャングリ・ラだ」という謎の言葉を残して死ぬ。4人はラマ教寺院の老人に助けられたが、そこは月が青白く輝き、深い森や川や谷に囲まれた大自然。不老長寿の地で、時間の流れから解放された秘境だった。4人のなかの青年が現地の中国娘と恋に墜ちる・・・そういう小説である。

そのシャングリ・ラへの旅に出たのは、3年前(2002年)の夏だった。

雲南省の省都・昆明から世界遺産の木造建築群「老街」で知られる麗江まで空路40分。そこで一泊し、車で野越え山越え走ること5時間、迪慶(てきけい)チベット地区の中甸(ちゅうでん)という町へ着いた。そこはチベット族の町だが、町にはにわか造りのニュータウンが生まれていた。というのは、72年も前の小説『失われた地平線』で書かれた舞台シャングリ・ラはここだと主張する中国の郷土史家が出現したからである。

そのため雲南は省をあげてのシャングリ・ラ狂想曲を演じており、とうとう中甸という町の名前まで「香格里拉(シャングリ・ラ)」と改めてしまった。旅を思いついたのはそういう話を聞いたからだった。

省都昆明の北西700キロ、標高3450メートル。町の郊外へ出ると、なるほどシャングリ・ラにふさわしいかもしれないという風光がひろがっていた。

切り立った深い谷と、なだらかに起伏する丘と、見はるかす雲(くも)杉(すぎ)の緑の森と。そのなかに星屑を散りばめたような澄んだ湖が点在していた。黒くかげった林を縫うように、白く明るい川が流れている。

町はずれの丘陵の上には、小説に出てくるような巨大なラマ教寺院がそびえ立っており、その向かいには鳥葬の山があった。チベット文化園に属する雲の向こうの摩訶(まか)不思議な秘境の゛小宇宙゛だったのである。

「標高が3000メートルをはるかに超えているので、急に駆け出さないで。高山病になるから。ゆっくり歩いてくださいよ」

案内してくれたチベット族女性のナンチーさん(23)に、念を押された。気圧の関係なのだろう、息が苦しかった。

むろん初めて見た風景であるのに、デジャヴュ(既視感)がある。つまりいつかどこかで見たことがあるような気がしてくる。この山や野や川や湖はどこかに似ている。そうだ、信州の上高地だ。ここは゛雲南の上高地゛だと思った。

8月の光降る高原にひっくり返りながら(息苦しいので)、一体ここは桃源郷なのか、そのようにも見えるし、そうでないようにも見える。夏の日は高く輝いているが、冬のように冷たい風が吹いた。目の前の山や川は現実のようでもあるが、夢幻のようでもある。

桃源郷とは16世紀英国の社会思想家トマス・モア以来の理想郷である。ユートピアである。ユートピアとはそもそも「どこにもない場所」を意味する新しい造語だった。桃源郷とはこの世に存在しない土地だった。無何(むこ)有(う)の郷だったのである。その哲理をはるばる中国の奥地を訪ねて悟らされた。(2005年10月記)
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