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余市の駅前旅館(春海 二郎)2004年10月

2004年の秋、北海道の余市という町へ行ってみた。北海道の地図でいうと、札幌の左の方に小樽がある。そこからほんの少し下を見ると余市がある。日本海に面した町。実は私、余市はてっきり山の中にあるものと思い込んでいた。何故そのように思い込んでいたのか、自分でもよくわからないけれど、きっとウィスキーのコマーシャルで見た雪がシンシンと降る、あの景色のせいなのかもしれない。

2002年に英国大使館が日本中に小さなイングリッシュオーク(ナラの一種)の木を植えるという企画をやった。私は幸運にもその仕事を担当させてもらったのであるが、大使館を退職してから、植えられた木のその後を追跡するという企画をたてた。いろいろな町や村の方々に呼びかけてみた。それに応えてくれた町の一つが余市であった。この町の場合、町役場が変わった企画を提案してくれた。2002年の植樹式の際に記念撮影をした10数人の子供たちを集めて、一年に一度、同じ場所で同じ仲間で(しかも並び方も同じで)記念撮影を10年間続けてみようというわけである。こういう遊び心を持ったお役人がいる町というのは、どんな町であるのか・・・そのあたりが私には気になってしまったわけである。

羽田から飛行機で1時間半、札幌・千歳空港から電車で約1時間半も乗ると余市に到着。泊まった(と言ってもたったの一泊)のは、大正13年開業という駅前旅館。ここのご主人というかダンナというかオーナーというか・・・は、3代目なのだそうで「4代目がいるかどうか・・・(これから何年もつかという意味)」と頼りないこと言っていた。

東京を出かける前に余市の人からこの旅館を紹介された時に、朝食つき6500円という値段にも惹かれたのであるが、何と言っても「駅前旅館」というのに参ってしまった。一度でいいから泊まってみたかったのである。フーテンの寅さんだか富山の薬売りみたいで、かっこいいではないか、そういうところへ何気なく泊まるってのは・・・。

食事を終わってからオーナーとおしゃべりをした。

「駅前なら旅館にはイチバンいい場所でしょう?」(と私)
「それが違うんです」(とオーナー)
「でも電車から降りてくる客の目につきやすいのでは?」
「いや、こういう商売はむしろ町の奥のほうにあった方がいいんですよ」
「そんなもんですかね・・・」
「でも駅前にいて、いいこともある。あそこに交番があるでしょ?ああいうものが近くにあるから、食い逃げとか泊まり逃げがない」 と、妙な目つきで私を見た(と思った)。
「なるほど・・・でも食い逃げなんて言葉久しぶりに聞くなぁ」
「あるんですよ、奥の方のホテルなんか」

ところで、問題のイングリッシュオークであるが、これから10年も経つと余市町に植えられた木も5-6メートルにはなっているし、幹もかなり太くなっているはずで、子供たちの成長ぶりと比較するのが楽しみである。しかし私がこの企画を気に入ってしまったのは、それが10年続くという保障が全くないということなのである。人間にやる気があっても、オークが枯れてしまうかもしれない。子供たちだって10年間ずっと余市にいるとは限らない。親の転勤で他所の町へ行ってしまうかもしれない。こうした「不確定」を承知の上で、それに賭けてみようという「マジメな遊び心」が非常にいいと思ってしまったのだ。

もっともこの企画に関わっている地元の人によると、子供たちが全員いなくなることは「絶対に」ないのだそうだ。例の駅前旅館の娘さん3人(まだ小学生)が記念写真10年計画に参加してくれており、旅館だから「転勤」もないだろう、というわけである。なるほど。

翌朝、宿代を払ったらオーナーが受取証と一緒に「粗品」をくれた。小さな箱に入っていて、ちょっと重い。なんだろうと思って開けてみたら爪切りが入っていた。記念品に爪切りを貰ったのはこれが初めてである。なぜ粗品に爪切りなのか?これはおそらく寅さんだか富山の薬売りだかが、別の町の駅前旅館に泊まって一人しょぼしょぼ爪でも切りながら「あー、余市のあの駅前旅館はよかった・・・また行こう」なんてつぶやいたりしてくれるのではないか、とでも思ったりしたのだろうか?だとしたら、あのオーナーのPRマインドも捨てたものではない。 (2004年10月記)
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