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英国はバス 独は鉄道(黒羽 亮一)2010年8月

夫婦とも70代なかばになったが、訪問箇所を選択し、気ままな海外旅行は続けたい。さりとて、重いトランクを引きずってめぐる元気はないし、手頃なツァーもない。そこで考え出したのが、訪問国の長距離バスを利用したり、一カ所に滞在して、鉄道を使って周辺100㎞の数カ所を訪ねる旅行である。

バス旅行には英国を選んだ。T・T社という、国内だけでなく欧州大陸の巡回バスも出している会社の、スコットランドを含めて7泊8日かけて回るプランを利用した。週に1日催行、6月25日発だというので、2日前にロンドン入りした。ストラトフォード、ヨーク、ダーラム、ハドリアヌスの壁、エジンバラ、セントアンドリュース、ピトロツキー、ネス湖畔、ハイランド地方、グラスゴウ、湖水地帯、チェスター、バース、ストンヘンジと回って7月2日にロンドンに帰った。

つまり日本の旅行会社がやっている「1周の旅」とあまり変わらない。荷物は「×時廊下」にという出し方でよい。TT社に予め払う経費は約10万円で、宿泊代、朝食代、3晩だけの夕食代と格安である。しかし、昼食は御勝手に、4晩の食事には安手のショウとか、16世紀以来の店だとか理由はついているが、やや高い。湖水地帯などの一部を観光船で渡れば、それは別料金。そして案内書に「旅行の最後に、ガイドに1日4ドル、運転手に2ドルの目安でチップを渡して貰えば幸い」とある。旅行産業というのは、この国のトーマス・クックが開発したというが、こんなものかなどと、理由をつけて感心した。

同乗では、日本人がもう1組。中国人は4人組。英語を話すのは一人だけで、北京政府の在英公館員一行という様子。マレーシアから2組で、サンダカンで商売をしているユーラシアンと英国で博士号を取ったばかりの頑張り屋と、女性先導なのがアジア組。

圧倒多数は米、豪、加、南アから。南アの5組10人が目立った。ボーア戦争で英国と戦い、第二次大戦後はアパルトヘイトを主張し続けたアフリカーナも、父祖はそれと戦った黒人もいた。いずれにしても旧宗主国の英国を訪ねるのは「お伊勢まいり」になっているのかななどと想像をめぐらせた。

あのテロ事件の3日前の7月4日にロンドンをでて、ドイツ入り。国際派の記者ではなかったが、ボン、ベルリン、ウィーンには中期滞在したことがあるので、勝手は分かる。屈指の学術文化芸術地帯ながら、旧東独に属して窮屈だったライプチッヒを選び、鉄道駅に至近のホテル7泊を、東京で予約をしておいた。着いてさっそく鉄道駅に行ったら「外国人2人で、1カ月に5日間、1等車乗り放題で、460ユーロ」という切符を勧められたので購入、これをフルに使った。

つまり、ドレスデン(2日)、ワイマール、ヴェニゲローデとハルツ山塊(ブロッケン山)である。案内書や諸先輩の印象記を超える知見があったわけではない。しかし、ドレスデンでは来年の開市800年をひかえ、瓦礫だった聖母教会が95%復元していたとか、ワイマール郊外のブッヘンヴァルド収容所には高校生学習見学が意外に多いとか、東西ドイツの国境だったブロッケン山では、冷戦時代の名残を見るとか、「第二次大戦終了60年」を噛みしめる旅でもあった。

11日にミュンヘンに出て、15日まで滞在した。当初の予定にはなかったが、代理店が選んだルフトハンザ機が、ここから帰国となっていたので、 「トランジットですます手はない」と追加した日程だった。

5日通用切符が1日分残っていたので、ニュルンベルクを訪問した。ここも空襲で92%崩壊、戦後復元の町だが、あまり伝えられていない「破壊と復元」の苦心を聞いた。あと一日はダッハウの収容所を見学、1日は「定食観光」のノイシュヴァンシュタイン城にJAL系の日帰り観光バスで、ここだけは多数の日本人観光客と行ってきた。 (2005年8月記)
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