2025年05月19日 13:30 〜 15:00 10階ホール
「戦後80年を問う」(6) 野球評論家、元横浜ベイスターズ監督・権藤博さん

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会見リポート

「教えすぎず」見守る指導

篠山 正幸 (日本経済新聞社編集委員)

 小学1年で終戦を迎えた。自分で捕まえたフナやドジョウを焼いて食べた、というところに始まる回想はそのまま、昭和、平成、令和と激変していく野球の年代記になっていた。

 今に伝わる「権藤、権藤、雨、権藤……」の名文句は新人で35勝を挙げた1961年、雨の日以外は投げた、というほどのモーレツぶりから生まれた。

 「鉄腕」こと稲尾和久(西鉄=現西武)ら、大エースが君臨していた当時、先発・完投、連投が当たり前。結果、ヒーローたちの盛りの時は長くなかったが、チームの浮沈を背負って投げる日々は充実し「それでつぶれても本望だった」そうだ。

 当時はまだ、戦争帰りの監督が多かった。「ピッチャー権藤」と告げ続けた濃人渉監督に、肩の不調を漏らすと「たるんどる。それくらいで命は取られやせん」と一喝されておしまいだったとか。

 稲尾投手を擁して一時代を築いた三原脩監督はビルマ戦線から帰還した。死地を経た監督たちには、人は咲けるときに精いっぱい咲いておいたほうがいいとの人生観があった、とは想像が過ぎるだろうか。

 打者の進化著しい今、1試合を投手一人ではまかなえず、細切れ継投が定着した。そうした近代的継投を確立した当事者である権藤氏だが、投手が主役になれない現状は憂いている。システムの進化は個人の幸せにつながるのか、とはどの分野にもまたがるテーマだ。

 監督としては選手を一個のプロとして尊重し、自主性に任せた。管理野球の対極にある手法には多分に米国式が入っている。

 指導者転身後、米国の育成組織を視察。コーチたちは「Don’t overteach」(教えすぎない)を肝に銘じ、手取り足取りしたいのをこらえて若い人を見守っていた。「人に教わったことは忘れるけど、自分でつかんだものは忘れない、というんだね」。異色の指導理論は戦後再開された日米交流の果実の一つといえる。


ゲスト / Guest

  • 権藤博 / Hiroshi Gondo

     野球評論家、元横浜ベイスターズ監督

研究テーマ:戦後80年を問う

研究会回数:6

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