会見リポート
2024年12月24日
14:00 〜 15:00
10階ホール
ノーベル平和賞受賞 日本原水爆被害者団体協議会 田中熙巳代表委員ら 会見
会見メモ
ノーベル平和賞の授賞式から2週間。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(たなか・てるみ)代表委員、児玉三智子事務局次長、濱住治郎事務局次長が会見に臨み、スピーチに込めた思いや現地でのエピソードを明かした。来年は広島・長崎の被爆、終戦から80年の節目となる。田中さんは「核のタブーが崩されないような大運動をやらないといけない」と意気込みを語った。7歳のときに広島で被爆し、学校などで被爆体験を伝える活動を続けてきた児玉さんは「若い人たちの受け止め方が変わってきたように感じている。自分のこととしてとらえられるようになってきた。皆さんにそういう風になってもらいたい。本当の意味での核被害を世界のすみずみまで伝えていきたい」。濱住さんは「今回の受賞を糧に活動を広げていきたい」と述べた。
授賞式のスピーチで田中さんは「もう一度繰り返します」と述べ、原爆の被害者に対する償いを日本政府がしていないと強調した。原稿になかった言葉を盛り込んだ真意について、「この問題は日本政府だけの問題ではない。民主主義という国家は、国民と国との間に対等な関係があるはず。国の立場から国民は犠牲を受忍、我慢しなくてはいけないというのは間違っている。その間違いが世界にはびこっているという思いがぱっと頭に浮かんだ」と説明。また今年ノーベル平和賞を受賞するに至った理由について、ノーベル委員会のフリードネス委員長から当初は(被団協への平和賞授与を)来年にしようと思っていたが、議論の中で(戦後80年となる)来年、世界の運動を大きくしてもらうために、今年授与することを決めたと伝えられたことを明かした。
司会 佐藤千矢子 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞社)
※写真左から田中さん、児玉さん、濱住さん
会見リポート
被爆80年「証言の大運動を」
椋田 佳代 (毎日新聞社社会部東京グループ)
ノーベル平和賞授賞式が行われたノルウェー・オスロから帰国して10日あまり。授賞式で演説し、日本被団協の歩みを世界に発信した田中熙巳さんは「つつがなく役を果たすことができたかな」と安堵の表情を見せ、「ノーベル賞委員会は『被爆者の証言により核のタブーが確立された』と言っている。それが崩されないように大運動をやりたい」と被爆80年に向けた意欲を語った。
委員会は当初、節目である2025年の授賞を検討していた。だが、「来年では遅い」「世界の世論を大きくしてほしい」といった意見があり、今回の授賞を決めた。田中さんは授賞式後の委員との食事会でこうした経緯を伝えられたと明かし、「すごい判断だった」と評価した。
その上で「80年は一つの区切り」と強調。授賞は「励ましの意味もあったと思う」と振り返り、「証言の運動をしたい」と述べた。
一方で、共に運動してきた仲間の多くが世を去ってからの受賞に「非常に悔しい。もう10年でも早く賞をいただければ彼らと一緒にお祝いできた」と複雑な思いをにじませた。
授賞式の演説で、原爆被害者に対する国家補償がなされていないと重ねて言及したことに質問が及ぶと、田中さんは「怒りがずっとある。国民が犠牲を我慢しなければならないというのは間違っている。その間違いが世界にはびこっているという思いがパッと頭に浮かんだ」と説明した。
児玉三智子さんは健康問題について会場から問われ、家族をがんで亡くしたことに触れて「被爆者は一旦放射能をあびると一生被爆者。逃れることはできない。そういう思いで生きている」と訴えた。胎内被爆者の濱住治郎さんは「不安の中で生きてきた」と語り、被爆者が強いられてきた苦難をうかがわせる場面もあった。
ゲスト / Guest
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田中熙巳 / Terumi TANAKA
代表委員
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児玉三智子 / Michiko KODAMA
事務局次長
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濱住治郎 / Jiro HAMASUMI
事務局次長