2022年04月07日 14:00 〜 15:30 オンライン開催
「沖縄復帰50年」(1) 稲嶺恵一・元沖縄県知事

会見メモ

沖縄県が本土に復帰して5月15日で50年を迎える。

この50年間を振り返り、沖縄の今を考えるシリーズ企画「沖縄復帰50年」の第1回ゲストとして、1998年から2006年までの2期8年にわたり沖縄県知事を務めた稲嶺恵一がリモートで会見し、復帰から50年の沖縄の変化、基地問題などについて話した。

 

司会 川上高志 日本記者クラブ企画委員(共同通信)


会見リポート

「大和ぬ世」で主権は返還されたのか

川上 高志 (共同通信社特別編集委員)

 「唐ぬ世から 大和ぬ世 大和ぬ世から アメリカ世 珍らさ変わたる 此の沖縄」。沖縄民謡の名手、故・嘉手苅林昌さんが歌った「時代の流れ」。米軍統治下で変わる沖縄の姿を描いた歌だ。

 それから沖縄は再び「大和ぬ世」となった。今回の企画で考えたのは、単に50年を振り返るのではなく、琉球王朝時代からの歴史の中に位置付けて沖縄の今を問いたいということだった。

 「ウチナーンチュ」とは何か―。元県知事の稲嶺恵一さんの会見は、その定義から始まった。沖縄が琉球処分で日本の県になったのは1879年。それから米軍統治下に入る1945年まで、「沖縄県人」だった期間は66年間しかない。

 「ウチナーンチュとは沖縄人と沖縄県人を足して2で割ったもの」と稲嶺さんは話した。50年前の沖縄の空気はどうだったのか。「異民族の支配を脱却し、日本に戻った喜びを持って迎えた人が大部分だったと思う」としながらも、沖縄には「微妙な感情があった」。

 返還なのか復帰なのか―。企画のタイトルを決める際に悩んだ問題だ。沖縄国際大教授の前泊博盛さんは会見でまずその点に触れた。沖縄の人々が掲げたのは当初、「祖国復帰運動」だった。しかし、沖縄にとって「祖国」とは何かが問われ、本土復帰、日本復帰、日本返還、沖縄返還などの表現が使われるようになる。「誰が誰に何を返還したのか」。前泊さんの問いかけは今に続く本質的な問題提起と言える。

 

■「種がまかれていない」

 沖縄が復帰後目指したのは「本土との同質化だった」と稲嶺さんは指摘した。「時代の流れ」で人々の意識は変わる。もはや若い世代には本土との意識の差はない。だが、基地問題や政治を見れば、やはりそこには断絶という現実がある。

 稲嶺さんは、今後の沖縄経済は逆に自立した「異質化」を目指すべきだとし、アジアのハブとなりうる「要石」の優位性を強調した。ただ、日本にはかつてのように沖縄に思いを寄せる政治家がいなくなった。政府と県の政策協議も途絶え、「今は花を咲かせるための種がまかれていない」ことを懸念した。

 前泊さんは、米軍の圧政統治から「平和憲法の下へ」を目指したはずの復帰だが、「平和憲法の理念は沖縄に適用されたのか」と指摘した。政府の沖縄政策は、辺野古新基地の建設強行などの「強権型」、沖縄予算を使った「恐喝型」、さらに「賄賂型」「恫喝型」であり、県知事選や県民投票の結果が無視される「地方主権の侵害」が続いていると語った。

 中国への対処を理由に進められる自衛隊の南西諸島配備は、沖縄への攻撃を呼び寄せかねない「マグネット効果」を持つとも警告。日本軍が住民を守らなかった歴史から沖縄が強く反対した自衛隊配備が強行されてきた50年でもあったと指摘した。

 国会は復帰50年に合わせて、政府は米軍基地の負担軽減や沖縄振興策に「最大限努力」すべきだとの決議を行った。だが、それは内実を伴っているのか。

 

■「沖縄は民主主義のカナリア」

 稲嶺さんは「基地や日米安保は全国的な問題だが、自分のところで応分に負担しようとは言わない。沖縄ご苦労さん、で終わってほしくないというのが多くの県民の感情だ」と強調。前泊さんは「沖縄は日本の中のカナリアだ。この地域が死に絶えるときは、この国の民主主義が死に絶えるときだ」と語った。

 「大和ぬ世」になって沖縄に主権は返還されたのか―。会見が突きつけた重い問いかけだった。


ゲスト / Guest

  • 稲嶺恵一 / INAMINE Keiichi

    元沖縄県知事 / Former Governor of Okinawa

研究テーマ:沖縄復帰50年

研究会回数:1

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