2022年03月23日 13:00 〜 14:00 10階ホール
「3.11から11年」(4) 立谷秀清・相馬市長

会見メモ

立谷秀清・相馬市長が東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故後からの11年の取り組みや、この間進めてきた子どもの内部被ばく、外部被ばくの測定・調査について話した。

 

司会 浅井文和 日本記者クラブ企画委員

 

 


会見リポート

図上訓練で培った対応力/国民に放射能の基礎知識を

中川 和之 (時事通信社解説委員)

 11年前の地震の翌午前3時、福島県相馬市の対策本部では、「助けた人から次の死者を出さない」をテーマに、A3に1枚で行動方針をまとめていた。そこには、孤立者救出から避難者の健康対策、仮設用地の確保、空きアパートの確保、生活資金の見舞金、棺桶500個の確保など、的確で具体的な項目が並ぶ。その後も、災害孤児への支援金・奨学金、教育支援、長屋仮設、被災者雇用の仮設へのリアカー訪問販売など、次々に手が打たれた。

 「対応能力はどのように培ったか?」との質問に対し立谷市長は、震災前に2回行ったシナリオのない図上訓練の経験が生きたという。A3の1枚は「行政事務事業にISOの考えを当てはめていたので、職員が目標に向かって推敲するという意識を持っていたことでできた」と語った。これらの経験が、全国市長会での対策にも生かされているという。

 福島第一原子力発電所の事故で相馬市は、国からの避難指示対象地域にならず、自治体として広域避難は行わなかった。混乱する中で現場の自衛隊から避難を勧められたが、「持っていた線量計で調べていて、幸いなことに下がっていた。医療体制もできてきた避難所の高齢者を連れて避難をするのはリスクがあり、避難しないという判断をした」と、根拠を持って決断していた。

 住民の健康を守っていく責任として、子どもたちの内部被ばくや外部被ばくの調査を継続して実施し、いちばん被ばくした子どもで「1回のCT半分の量で、問題にならないレベル」を実証した。しかし、市幹部の娘さんが「福島県の娘は嫁にもらえない」と破談になった例を挙げ、「相馬の子どもたちが、そういう思いをすると思うと矢も盾もたまらない。差別は非常に悲しい」と指摘。「放射能は自然界にも存在することなど、国民がしっかりした知識を習得し、不当な差別をしないでほしい」と訴えた。


ゲスト / Guest

  • 立谷秀清 / Hidekiyo Tachiya

    福島県相馬市長 / Mayor of Soma city

研究テーマ:3.11から11年

研究会回数:4

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