2020年03月19日 13:30 〜 14:30 10階ホール
「オリンピック・パラリンピックと社会」(8) 1964年聖火リレー秘話 久野明子さん

会見メモ

1964年東京五輪組織委員会の職員で、海外聖火空輸派遣団のメンバーだった久野明子さんに、アテネから日本への海外聖火リレーや組織委員会での思い出を聞いた。

中東、東南アジア諸国で歓迎され「各国の若者たちの平和への思い、未来への希望を託された責任感で聖火を運んだ」と、当時の思いを語った。また、ブランデージIOC委員長が開会式で日本語であいさつしたことが知られるが、ブランデージ氏に日本語を教えた裏話も披露した。

司会 森田景史 日本記者クラブ企画委員(産経新聞)

1964年聖火リレー秘話の2回目はこちら:

3月24日(火)13:30~15:00「オリンピック・パラリンピックと社会」(9) 1964年聖火リレー秘話 ジャーナリスト 夫馬信一さん


会見リポート

「五輪は戦争を超える」

小沢 剛 (共同通信社編集委員)

 1964年の前回東京五輪の聖火は、ギリシャから空輸で東南アジアを経て沖縄に入った。後半のコルカタ(インド)以降を、高島文雄・組織委員会聖火リレー特別委員長の秘書兼通訳として同行した。春に大学を卒業したばかり。「婚期が遅れてもいい」と入った組織委での大役だった。

 聖火は経由地で自国民によるリレーが行われた。多くが第2次世界大戦で日本の侵略を受けた。国民感情が気になったが大歓迎された。トーチの燃焼時間は6分しかなく、消さずに次走者へ渡すためランナーの道をふさぐ観衆に大声を張り上げたことも。「アジアの若者もいつか自国で五輪を、と夢を聖火に託したと思う。五輪は戦争を超える」と感じた。

 開会式でブランデージIOC会長が祝辞の最後に天皇陛下へ開会宣言を依頼した。その日本語の指導をしたのはこの人。様変わりが進む五輪。最後に「オリンピック精神に立ち返ろう」と語った。


ゲスト / Guest

  • 久野明子 / Akiko Kuno

研究テーマ:オリンピック・パラリンピックと社会

研究会回数:8

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