2018年05月18日 14:00 〜 15:30 10階ホール
「平成とは何だったのか」(2)  佐々木毅・元東京大学学長

会見メモ

21世紀臨調の共同代表として平成の政治改革を振り返った。

「政治に求心力を高めるために、権力と政策の責任の一体化」を議論することが出発点だったとした。政治資金・選挙制度改革で生まれた現政治体制について、「確かなことは元に戻ることはできない。自分たちが道をふせぎ、ほとんど出口がない状況にある」と述べた。

 『平成デモクラシー 政治改革25年の歴史』(講談社 2013年)

 

倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)

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会見詳録


会見リポート

「政党の主役化」めざしたが…

清水 真人 (日本経済新聞社編集委員)

 衆院に小選挙区制を導入した政治改革の旗を振った有識者として、「平成デモクラシー」を振り返った。

 政治改革はリクルート事件という「政治とカネ」問題が起爆剤と見られがちだが、佐々木氏はそれに先立つ1987年の著書『いま政治になにが可能か』(中公新書)で早くも自民党長期政権の限界や政党中心の選挙制度への改革に触れていた。

 当時は政官業トライアングルと呼ばれた「あらゆる個別利益の面倒を見る政治」の爛熟期。経済人や有識者の土光臨調が政治に成り代わって行政改革に奮闘し、「米国という野党」がプラザ合意による円高や貿易摩擦で「横からの入力」となって政官業に揺さぶりをかけていた。

 「権力は分散し、政策全体の方向性は共有されず、責任がどこにあるかはっきりしない」統治から「日本全体の方向性に責任を持つ政治の集中化」を目指したのが政治改革だ。政権交代可能な小選挙区制と政党への公的助成金をセットにし、権力・政策・責任の一体化の主役として「政党にゲタを預けた」改革だった。

 国民も「派閥政治への反対」と「透明性という価値観」への志向を強めた。大銀行が次々に経営破綻した90年代後半の金融危機を通じ、利益政治や官主導体制は市場経済の透明性の論理の前に屈服した、と説く。

 21世紀に入り、政党は「透明性」に2つの答えを探る。第1は顔の見えるトップリーダー個人への期待を煽ること。第2は体系的なマニフェスト(政権公約)の試みだ。佐々木氏も政権公約を「政党のガバナンスを整え、アイデンティティーを選挙民に示す」ツールとして重く見た。

 だが、マニフェスト選挙の壁となったのが、事前運動や文書配布を規制する公職選挙法と「いつでも衆院解散する余裕のない政治」だ。特に後者は「政治改革は頻繁な選挙を前提にしていない」と見直しを訴えた。

 冷戦終結や日米摩擦の大状況が後押しした政治改革。「元のような政治には戻りたくても戻れない。歴史が道を塞いでいる」とも述べた。


ゲスト / Guest

  • 佐々木毅 / Takeshi Sasaki

    日本 / Japan

    元東京大学学長 / former rector, Tokyo University

研究テーマ:平成とは何だったのか

研究会回数:2

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