2017年12月05日 15:00 〜 16:30 9階会見場
「ユダヤ難民救出をめぐる杉原千畝とソ連―新事実浮上」イリヤ・アルトマン ロシア・ホロコースト研究教育センター共同議長

会見メモ

 杉原千畝は第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス日本領事館領事代理として、ナチスから逃れた多数のユダヤ人に対し、日本政府の命令に背き日本通過ビザを発給し、「日本のシンドラー」と呼ばれる人物。ビザを発給されたユダヤ人たちはソ連領土内を列車で通過して日本に向かったが、これまでソ連側の対応が明らかになっていなかった。アルトマン氏は、ソ連外務省の公文書などから、ソ連が通過ビザを発給していた事実をつきとめた。ソ連のビザ発給について、同氏は「一番大きな理由は現金収入。多数の難民から徴収したビザ発給代は総額50万ドルになり、当時としては大きな額となった。さらに、多数のユダヤ人難民を領土内にとどめておくには費用もかかり、早く出国してもらいたい意向もあった」と説明した。

 

司会 石郷岡建氏

通訳 吉岡ゆき


会見リポート

「命のビザ」に新たな光

田中洋之 (毎日新聞社編集委員)

 ユダヤ難民を救った外交官、杉原千畝については、これまで妻、幸子さんの著書やサバイバーの証言、また日本国内に残る文書をもとに語られることが多かった。アルトマン氏の研究は、ロシアをはじめリトアニア、ポーランド、イスラエルなどの公文書館から資料を発掘し、「命のビザ」の秘められた部分に国際的な視点から新たな光をあてるものだ。

 

 アルトマン氏は、当時のソ連がユダヤ人の通過を認めた理由の第一に外貨獲得を挙げる一方、ユダヤ人らがソ連の秘密警察NKVD(内務人民委員部、のちのKGB)からエージェントになるよう説得されていたと指摘。ユダヤ人にビザを出さなかった米国の駐ソ大使が「彼らの20%がソ連の工作員になったからだ」との電報を本国に送っていたことを紹介しつつ、「工作員にされたのはもっと多いだろう」と歴史の暗部に言及した。

 

 また、千畝からバトンを受け継ぐ形でユダヤ人の日本上陸に尽力したウラジオストク総領事代理の根井三郎について「ヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)を受けるのにふさわしい」と評価した。ナチスの迫害からユダヤ人を救済した人に贈られるこの賞は、1985年に千畝が日本人で初めて受賞した。根井は賞に申請されており、決まれば日本で2人目となる。

 

 アルトマン氏はロシアで千畝の功績を広める活動にも取り組んでいる。今年9月、極東ユダヤ自治州の州都ビロビジャンの鉄道駅に千畝の記念プレートを設置した。ビロビジャンはシベリア鉄道経由で日本に逃れるユダヤ人が立ち寄ったゆかりの地だ。ロシアの教育プログラムに千畝を取り入れることも目指しているという。

 

 10月末、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に「杉原リスト」が登録されず、日本国内に落胆が広がった。アルトマン氏は「杉原リストは登録されるべきだ」と述べ、共同議長を務めるロシア・ホロコースト研究教育センターが所持する関連資料を日本側に提供する用意を表明した。「世界の記憶」への再チャレンジは、日露の連携がひとつのカギとなるかもしれない。


ゲスト / Guest

  • イリヤ・アルトマン / Ilya Altman

    ロシア / Russia

    ロシア・ホロコースト研究教育センター共同議長 / Professor, Russian State University for the Humanities / Co-Chairman, The Russian Research and Educational Holocaust Center and the Holocaust Foundation

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