2017年08月03日 16:00 〜 17:00 10階ホール
さだまさしさん「風に立つライオン基金」会見

会見メモ

歌手としてではなく、僻地医療、災害救援の従事者を支援する団体が公益財団法人の認定を受けたことを受け、法人の創設者として会見。法人設立後の2年間だけでも、茨城、熊本、岩手、鳥取など被災地を訪れ、義捐金を手渡す活動を続けてきた。「命を守ることができれば、人はかならず立ち直ることができる。たくさんの人たちの力をいただき、お叱りを受けながらやっていきたい」と語った。

 

司会 傍示文昭 日本記者クラブ前企画委員(西日本新聞)


会見リポート

歌から生まれる人助けの連鎖

「風に立つライオン」という歌を発表したのは、日本がバブル景気のただ中にあった1987年。実在の医師をモデルに、アフリカで巡回医療に従事する日本人青年の悩みや喜びを、故国に残してきた女性への手紙という形で描いた。この歌を聴き医学の道を志したという人に近年よく会うと、さだ氏は語る。海外協力隊員や商社員からも「心の支えにしている」との声が届くという。

 

その歌の名を冠した「風に立つライオン基金」は2015年、僻地医療や災害救援の従事者を物心両面で支援する一般社団法人として発足した。この夏、公益財団法人の認定を受けたのを機に創設者として会見に臨んだ。

 

原点は1982年に故郷を襲った長崎大水害。「日本中の人が長崎に力を貸してくれた」。自身も急きょ東京でチャリティーコンサートを開催。その後、東日本大震災や熊本地震に至るまで、ライブ会場に募金箱を置いたり、音楽仲間と歌を届けたりといった試みを重ね、援助団体などとのつながりを育ててきた。

 

財団化したのは組織として支援を長く続けるため。この2年間も茨城、熊本、岩手、鳥取などの被災地を訪れ義援金を手渡してきた。公益法人として認められたのは「地道にやってきたことを、見る人は見てくれ、志をわかってくれたからでは」。その分、責任は重くなったと気を引き締める。

 

海外ではケニアやスーダン、フィリピンで障害児医療などに取り組む日本人を支援してきた。医療関係者に会員登録してもらい、災害時に被災地のニーズとマッチングする仕組みも稼働させ、すでに約100人が登録済み。活動の幅を広げるため、個人や企業、団体に寄付を呼びかけていく。

 

いったんは被災者になった人が、別の地域に災害があれば助ける側に回る。そんな「お返し」の自然な広がりを目の当たりにしてきた。阪神淡路大震災以降の20年間で日本人のボランティア観は大きく変わったとみる。「慈善活動や善意の運動という力みが消え、自分にできることをするのは当然と考える若者が増えた」。彼らを応援しようと昨年、高校生向けボランティア・アワードを立ち上げた。

 

歌手などによる支援活動も「ひところは売名と言われるのを恐れる風潮もあったが、今はなくなった」と感じる。これらの変化を先導してきた1人が、さだ氏なのではないか。そう思わせる会見だった。


日本経済新聞社編集委員兼論説委員 石鍋 仁美

ゲスト / Guest

  • さだまさし / Masashi Sada

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