2017年05月09日 15:00 〜 16:00 10階ホール
著者と語る 『一日に一字学べば・・・』 三世桐竹勘十郎 文楽人形遣い

会見メモ

著書は14歳で”文楽高校”入学以来の半世紀を振り返ったもの。一体を3人で操る「3人遣い」の実演つきで、人形浄瑠璃の世界に誘った。3人遣いは約280年前の享保年間に考案されたという。「足、手、頭と段階を踏んで修行をつめば、自然に人形を遣えるようになる」

 

司会 瀬口晴義 日本記者クラブ企画委員(東京新聞)


会見リポート

300年続いた伝統芸能、絶やさずに次世代へ

長友佐波子 (朝日新聞出身)

大阪発祥で世界文化遺産にも認定されている人形浄瑠璃文楽。その人形遣いの第一人者、三世桐竹勘十郎氏が日本記者クラブで5月9日、会見した。文楽に不案内な記者もいる前で、三人遣いの人形を実演しながら解説。文楽界の行く末を心配する声もあったが、「300年続いた伝統芸能。絶やさないよう、総力で次世代に伝えたい」と話した。

 

文楽は、同じく世界遺産の能や歌舞伎と違って世襲制ではない。勘十郎氏はその中では珍しく父も人形遣い。戦後、最も技芸員が少なく文楽が危機的状況だったころの昭和42年、中学3年で入門、今年50年目を迎えた。師匠は当代一の女方、人間国宝の吉田簑助氏だ。

 

文楽は、太夫、三味線、人形遣いの三業で構成される。太夫の語る物語に、三味線が伴奏や効果音をつけ、それに合わせて人形遣いが無言のまま動かす。この形が1734年の道頓堀竹本座以来、続いてきた。

 

人形は、司令塔である主(おも)遣い、左手を動かす左遣い、両足を演じる足遣いの3人で動かす。主遣いは、左手で頭(かしら)を持って目や眉などを、右手で人形の右手を動かす。女性の頭には口元に釘があり、着物の袂や手拭いを引っ掛けて、悔し泣きなどを表現する。主遣いの出す微かな合図に左や足が合わせ、一体化した動きになる。

 

右を向いたり左を見たり、何か物を拾ったり、立ち上がったり、歩いたり、躓いたり。こうした一連の動作を、勘十郎氏の主遣いに左遣いと足遣いがついて実演してみせた。言葉は発しないのに自然に動きが合う神業のような人形遣いに、記者からは感嘆が漏れた。

 

勘十郎氏が入門を決めたのも、東京の国立劇場開館時に舞台の裏側を見て、すごい世界だと感じたからという。昭和41年当時、人形遣いは27人しかおらず、父の縁で手伝った。

 

当時は最少だった技芸員はその後増え、三業合わせて現在は80人超いる。今年も研修生が4人入った。だが、この数年、昭和から平成を支えたベテランが次々と舞台を去っている。

 

人間国宝では、住大夫師匠・嶋大夫師匠が引退、源大夫師匠・文雀師匠が死去。人間国宝で現役なのは、人形遣いの簑助師匠、三味線の寛治師匠、清治師匠だけ。ことに太夫は、切り場語り(クライマックスを一人で語れる最高位)が咲太夫師匠一人だけだ。

 

人材、特に太夫の薄さを心配する記者に、勘十郎氏は、危機的かもしれないとした上で、「太夫は、太夫の声になるのに20年と言われる。切り場語りには実力、経験が必要。幸い、人形遣いは育ってきて、三味線も寛治師匠や清治師匠ら経験を積んだ方が元気。人形が見た目で楽しませている間に、太夫に育ってほしい。三業全員で乗り越えたい」と話した。

 

会見は、勘十郎氏の著書『一日に一字学べば…』(コミニケ出版)の出版を記念して開かれた。書名は、「菅原伝授手習鑑・寺入りの段」の菅秀才の台詞から。13日から東京・国立劇場で始まる5月公演でも上演する。文楽の修業は一気に上達はしない、日々の積み重ねが大事だとの意味を込めた。

 

師匠は女方で知られ、先代勘十郎だった父は立役。立役と女方どちらで行くかと問われ、「両方するしかない」と苦笑いした勘十郎氏。5月公演では、昼の部で女房千代、夜の部で召使お初と、昼夜ともに女方を務める。

 

(5月公演は昼夜とも残席あり=10日現在)


ゲスト / Guest

  • 桐竹勘十郎 / Kanjuro Kiritake

    文楽人形遣い / Bunraku puppeteer

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