2000年10月16日 00:00 〜 00:00 10階ホール
朱鎔基・中国首相

会見メモ

・・・公賓で来日した中国の朱鎔基首相の記者会見は、438人もの記者が参加した、今年最大の大型会見となりました。94年2月に副首相としてお出でいただいており、2度目のゲストです。内容は大きく報道された新聞、テレビでご承知の通りです。
その中で、歴史認識の問題では「歴史を色あせさせ、隠し、改ざんしようとする一部の人々に注意を喚起することは、日本人民を刺激することにあたらない」と発言。訪日直前に確か「中国は歴史で日本人民を刺激すべきでない」とおっしゃったはずですが、これは“軌道修正”だったのでしょうか。会見は、外務省の霞クラブなどワーキングプレスを優先したことで、会員の皆さんに窮屈な思いを強いてしまいました。ご理解ください。また、今回も日本語と中国語の分からない外国特派員のためにフォーリンプレスセンターで同時通訳のサービスをしていただきました。感謝いたします。
ところで、警備体制の厳重さにはいささか驚きでした。プレスセンタービル内の事前チェックや会見場のホール入り口での金属探知機持ち込みもさることながら、ビル内外に張り込んだ警察官の数の多さは異常なほど。爆発物を探知する警察犬も2頭現れ、朱首相が到着する寸前まで玄関前を警戒するものものしさでした。・・・
日本記者クラブ会報2000年11月号1ページから引用)

 

・・・ずいぶん損をしてきたと自ら語る迫力ある顔だが、会見での表情は終始おだやか。想定問答のメモも手元に置かず、さあ何でも聞いてくださいとの余裕を見せていた。
98年秋に来日した江沢民国家主席は、所を選ばず、時にはこぶしを振り上げて歴史問題の重要性を説いた。過剰な力みもあった主席の印象と、おや違うなと感じられたら、それが首相訪日の、まずは第1の目標が達せられたといえるのではないか。
冒頭に訪日を総括し、森喜朗首相との首脳会談、各党党首、経済団体や友好団体幹部との会見、そしてTBSの市民対話番組に出演したことの4つをあげ、「成果に富んだ訪問だった」と語った。
公式的にはこういう順序になるのだろうが、筆者の見るところ、今回の訪日はこの逆の順に対話の意義が大きかったと感じられた。つまりテレビ番組出演と、それを受けた形の日本記者クラブの共同会見がヤマ場になった形だ。ちなみに中国指導者が外国訪問でテレビ番組に出演したのは今回が初めて。中国外務省関係者は「日本人民に直接訴えかける、メディア対策を今回は重視した」と語っていた。
もちろん首脳会議では対中円借款問題や調査船問題など当面の重要議題が協議され、経済界との対話では西部大開発や北京・上海間の高速鉄道計画などが話題にのぼった。だが今回の訪日目的はそれだけではない。2年前の江主席訪日後に日本国内に広がった「嫌中感」を和らげたいとの狙いがあった。迎える日本政府側にも同様の思惑がうかがえた。
この表面には出さないが、舞台裏では重要だった中国側の狙いを、会見場で出会った旧知の中国人同行記者は「一口で言えば?増信釈疑?です」と語った。信頼感を増し、誤解を解くという意味合いだろう。
ただ歴史問題はTBSの市民対話でも焦点になった。「日本はいつまで謝罪を続けなければならないか」との質問を受け、朱鎔基さんは柔らかい表情をつくりながらも「日本政府が公式文書で中国に謝罪したことはない」と言い切った。こうした趣旨の発言が中国指導者からなされたのは初めてと記憶する。
この「文書での謝罪要求」とも受け取れる発言によって、またしても歴史問題が首脳往来の中心的な話題になってしまうのか。そう心配した日中双方の事務方の根回しがあったのか、あるいは首相自身の判断か、記者クラブの会見では「(歴史問題について)謝罪を求めることが我々の目的ではない」と軌道修正。「歴史を鑑(かがみ)とし未来に向かうという原則を守り、子々孫々仲良くしていくことが、我々の願いだ」と強調してみせた。
会見では台湾問題や安全保障問題では慎重な答弁が目立ち、最後にお得意の経済分野の質問が出ると、「西部大開発なら1時間でも語れる」と笑わせ、投資環境問題では細かい数字をあげ、具体的案件の話まで持ち出す熱弁ぶりで締めくくった。・・・
日本記者クラブ会報2000年11月号3ページから引用)

会見音声


ゲスト / Guest

  • 朱鎔基 / Zhu rongji

    中国 / China

    首相 / Prime Minister

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