1998年05月25日 00:00 〜 00:00 10階ホール
総会記念講演 岸恵子・女優「ヨーロッパと日本」

会見メモ

……ジュン・アシダのベージュのスーツにクリスティアン・ディオールの大粒の真珠のネックレス。岸惠子さんがホールに姿を現すと、満員の会場は不思議な幸福感で満たされた。国の内外であまたの著名人や重要人物と会ってきたわが会員にとっても、日本を代表する女優「岸惠子」にこうして直接向き合うというのには、特別なものがあったのである。

 この日のテーマは「ヨーロッパと日本」。パリと横浜というふたつの町に自宅を持つ岸さんが見て考えた東西文化論かと思いきや、話はひたすら南へ南へと向かうのだった。

 現在岸さんは、国連人口基金(UNFPA)親善大使として「南」の各地を歩いているところなのだ。「今日一番言いたいのは、UNFPAの募金のPRなんです。娘のデルフィーヌと話していて思い浮かんだ「UNFPA100円募金」に、期待したほどお金が集まらないので」

 そのためテレビ朝日系の「徹子の部屋」に出演して、100円募金をアピールしたそうだ。ところがそのとき、うっかりただ「100円募金」と言ってしまった。「あとで考えれば一日100円募金と言うべきでした。皆さん律儀にきっちり100円送ってくださる人が多くて。おまけに100円送金するのに、手数料が105円かかるんです」(笑)

 というわけで、お話はベトナムに、フィリピンに、親善大使として訪れたときの経験から始まった。ハノイ郊外の村のトイレは、囲いはあったが、なかには壁に向かって地面に数個所、溝が掘ってあるだけ。お互い丸見えのまさに「共同便所」だったとか。こういう話をさらりとするあたりに、岸さんの気取らない人となりがうかがわれる。

 それに「だから途上国は嫌なのよ」と「南」に行くのをやめてしまうのではなく、岸さんはまたまた出掛けてゆくのだ。思えば日本エッセイストクラブ賞を受賞した『ベラルーシの林檎』(朝日新聞社)をはじめ、岸さんの本の舞台は、かつての東側も含めての意味で「南」の色が濃い。生々しい生(せい)の現場を求めてゆくと、自ずと足はミナミへ歩く、ということなのだろうか?

 彼女のまなざしは、ゆえにパリでも「南」に向く。パリの人種差別反対デモの先頭に立つアフロ・アメリカンとフランス人のハーフの青年、ハーレム・デジールの話も出た。「彼の名前を訳したら“ハーレムの希望”ですよ。なんてすばらしい」

 とはいえ、パリと横浜を年に何度も往復する岸さんの目は、日本人にも注がれる。「機内でステテコ姿になって寝巻に着替えないで」というのが、ファーストクラスに乗り込んできた某国会議員への岸さんからの「お願い」。ため息が出ますなあ。

 そして話は一転して、かつてパリの自宅に訪れた、往年のスターたちの思い出に。アル中気味だったウィリアム・ホールデンが、パーティーで酩酊がすぎて、突然頭からワインをかぶってしまったとき、同席していたオードリー・ヘプバーンが「あらおもしろそうね。わたしもやってみよう」と自分もワインをかぶってその場をとりなした、などなど……。

 岸さんは、かつて訪れたハルトゥームで自ら書きつづった、奴隷として売られていったアフリカ人たちへのオマージュを朗読して、講演を締めくくった。親善大使の今年の訪問先はアフリカだそうだ。……

 

 クラブ会報1998年6月号3ページからの引用

クラブ会報1998年8月号15ページに岸さんの講演の文字記録が掲載されています。

会見音声


ゲスト / Guest

  • 岸恵子 / Keiko Kishi

    女優 / Actress

研究テーマ:ヨーロッパと日本

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