取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
能條桃子さん NO YOUTH NO JAPAN 代表理事/社会を変える しなやかに(外山 薫)2025年7月
初めて会った時、彼女は25歳だった。議員会館の大きな会議室。国政選挙などの候補や議席の一定割合を女性に割り当てる「クオータ制」の推進を求める集会で、「このペースでは100年経ってもジェンダー平等は程遠いです」と、議員たちを前にしたたかに、それでいて柔らかに話す能條桃子さんを見て「人生2回目?」と思った。
速攻「#わきまえない女」
能條さんは、20代の投票率が80%を超えるデンマークに留学したのをきっかけに若者の政治参加を促す「NO YOUTH NO JAPAN」を立ち上げた。「若い世代なくして日本はない」という意味を込めた。
彼女が一躍有名になったのは、東京オリ・パラリンピック開催前の2021年。組織委員会の森喜朗会長が臨時評議会で「女性がたくさんいる会議は時間がかかる」「(組織委の女性は)わきまえておられる」などと発言した。
「今の時代にこんな発言しちゃう人がオリ・パラのトップで日本がそういう国って見られたらやばいと思って―」。当時、慶応義塾大学4年生(21歳)だった能條さんは、有志らと翌日から署名活動を始め、1週間で15万筆以上を集めた。「♯わきまえない女」のムーブメントは森会長の辞任へとつながっていった。
モヤモヤを声に出すのは勇気がいる。報道する側も一緒だ。モヤるニュースを本音で語ろう、というポッドキャスト「ホンマのホンネ」の制作を去年9月からテレビ朝日で始めた。MCはテレ朝の本間智恵アナウンサーと報道局の溝上由夏(ドキュメンタリー「女性議員が増えない国で」がメディア・アンビシャス大賞優秀賞受賞)と私の3人トークショーだ。今年2月、能條さんをゲストに呼んだ。当時、森会長が何者か知らなくて、「署名作る前に検索したら日本の元総理らしい」と有志メンバーたちと一瞬ひるんだという。しかし、「逆に知らないウチらくらいしかできない」となって、署名開始のボタンを押したというのを聴き、声を出して笑ってしまった。
能條さんは、20、30代の女性や性的マイノリティーの地方議員を増やす活動「FIFTYS PROJECT」の代表も務める。政治分野でのジェンダー不平等の解消を目指し、23年の統一地方選挙では理念に賛同する29人が立候補し、24人が当選した。候補者を「報道ステーション」が密着したが、選挙カーなし、スーツケースを引いて電車移動、疲れたらお昼寝。「24時間戦えますか?」の選挙の仕方ではなかった。能條さんは「議員も人間らしい生活できないと感性失っちゃいますし、そうじゃないと次の議員になりたいという人が増えていかない」と、違う風を吹かせようとしている。
若者にばかり背負わせては
今や、SNSや動画配信などの戦略は、選挙では欠かせないツールだ。しかし、「女性・若い・リベラル、この3つが重なるとハラスメントが増える」という。能條さん自身も、誹謗中傷の対象になることがある。候補者のネットワークを作って互いにケアしたり、SNSアカウントをチームで管理したりなどノウハウを共有して支援している。
「次の世代に、もっとフェアで平等な生きやすい社会を残したい」という能條桃子さん、27歳。会うたびに元気をもらうと同時に、若者にばっかり背負わせていいものではない、と身が引き締まる。
(とやま・かおる 2003年テレビ朝日入社 経済部 ニューヨーク駐在などを経て 23年からABEMAニュースプロデューサー)