取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
高井康行さん 元東京地検特捜部検事、弁護士/地道な弁護に「秋霜烈日」(松井 健太郎)2025年5月
取材先で準備不足に気付かされ、背筋が凍る―。初めて高井さんの事務所を訪ねた際のことは、今も忘れられない。
当時高井さんは、ある複雑な事故を巡る刑事事件の弁護人を務めていた。私は法廷を傍聴して大部の書面に目を通し、原稿を書くのに必要なポイントを〝大体は〟把握しているつもりでいた。
「まるで見当違いだね」
和やかなあいさつの後「君はこの事件、どこが問題だと思うの」と本題に。双方の主張が対立していると見えた点を私が列挙していくと、高井さんの表情はみるみるうちに険しくなる。次の言葉は「全くの見当違いだね」だった。
しっぽを巻くようにして逃げ帰り、書面を読み込んでから再訪した。すると今度は、検察官の公訴提起がいかに不当で、法廷での主張がいかに的を射ないものであるのか、弁護人としての考えを熱く、丁寧に説明してくれた。
私の準備や、事件に向き合う意気込みが不足していたのは確かだ。高井さんはこの時「検察官も裁判官も、科学的な事柄から目を背け、本質を何も理解しようとしないことがある」ともこぼしていた。いま振り返れば「それに加えて傍聴席の記者までも」と失望させてしまっていたのかもしれない。
その後、事件は無罪が確定。しばらくしてから「偉そうに言ったけど、この事件を受けて、必死に勉強したから分かっただけなんだよ。高校3年生の物理や数学の教科書を買ってきて読み直したんだから」と聞かされた。気の遠くなるような地道な弁護活動の積み重ねを見た思いがした。
1972年に検事となり、97年の退官後に弁護士登録した高井さんは、ライブドア元社長堀江貴文さんの一、二審で主任弁護人を務めた。司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会メンバーとして、裁判員裁判や検察審査会の「強制起訴」制度導入論議にも携わった。
事務所を訪ねるよりも前、初めて取材を申し込んだのは、私が神戸支局で強制起訴制度を取材していた2010年の春だった。当時は兵庫県内で起きた尼崎JR脱線事故と明石市の歩道橋事故で実際に制度が動き始めた頃で、私は前例のない手探りの取材を進めていた。
検察への期待、信頼が前提
高井さんは、審査会が検察とは異なる基準で起訴を決めることに反対の立場だった。検察官が「起訴猶予」とした場合のみ、審査対象とすべきだと提案していた。
検討会の議事録をつまみ食いした私が「起訴猶予にするか嫌疑不十分にするかは検察官の胸三寸なのだから、起訴猶予だけに絞った制度にしてしまえば検察官が『検審逃れ』をできることになりませんか」と尋ねると、「事案に応じて適正な処分をするのは検察官の職務だ。職務への信頼が前提になければ、どんな制度も成り立たない」と言い切られた。「秋霜烈日」に象徴される検察官の厳正なイメージとぴったり重なり、圧倒されてしまった。
検察幹部が個別の事件で「オン」の取材に応じることはほとんどない。だから、事件の見通しや「こんな時、検察官はどう考えるのか」と知りたくなるニュースがあったとき、高井さんの意見に触れると「なるほど」が増えていく。弁護士の高井さんしか知らないはずなのに、つい、検察官のイメージを投影してしまうようになる。
それは、高校の教科書を読み込むような努力の積み重ねと、検察官という職務への期待、信頼が伝わってくるからなのだ、と感じている。
(まつい・けんたろう 2006年共同通信社入社 社会部などを経て 大阪社会部デスク)