ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


3・11から14年:(2025年3月) の記事一覧に戻る

福島県の除染土 中間貯蔵施設/県外処分 期限まで20年/背負う共感得られるか(桑田 広久 福島民友新聞社報道部デスク)2025年3月

 福島県の沿岸部浜通りにある中間貯蔵施設をご存じだろうか。放射性物質の飛散による広範な環境汚染を引き起こし、住民の穏やかな日常を奪った東京電力福島第1原発事故から14年。施設の建設で様相が一変した被災地は一つの通過点を迎える。

 中間貯蔵施設は福島第1原発を取り囲むように大熊、双葉両町にまたがり、建設予定地の面積は東京都渋谷区に相当する約16平方㌔に及ぶ。

 原発事故を受け、県内各地で放射性物質を取り除くため除染が行われた。宅地や校庭、農地といった生活圏の表土をはぎ取るなどの作業で生じたのが放射性物質を含む大量の土壌だ。これらは大型の土のう袋に入れられ、各市町村の仮置き場に山積みにされた。各地に残ったままでは復興の足かせになるとして、政府は除染で出た土壌などを集中保管するため中間貯蔵施設の建設を地元に要請し、県と大熊、双葉両町が「苦渋の決断」で受け入れた経緯がある。

 中間貯蔵施設の中間とは仮置き場から最終処分場までの中間を意味する。地元が最も懸念しているのは、施設がなし崩し的に最終処分場になる事態だ。このため政府は施設への搬入から30年以内に県外で最終処分すると法律で定めた。搬入が2015年3月に始まったことで県外最終処分の期限は45年3月に設定された。

 

■東京ドーム11杯分の搬入量

 今年3月で搬入開始から10年、県外最終処分まで20年となる。環境省によると、原発事故による帰還困難区域を除いて県内の除染は終わり、施設への搬入が順調に進んだ結果、搬入量は昨年12月時点で東京ドーム約11杯分に当たる約1404万立方㍍に上った。その全てを県外に持ち出して最終処分するのは現実的ではなく、政府は放射性物質濃度が1㌔当たり8千ベクレル以下の土壌を県内外の公共事業で道路などの盛り土材に再生利用し、最終処分量を減らす方針だ。

 ただ、こうした政府の方針、福島の実情がこの10年で国民にどれだけ浸透したのか。環境省の調査によると、県外での認知度は約2割に過ぎないのが現状だ。再生利用の実証事業は県内3例にとどまり、県外では住民の反発から実現のめどが立っていない。再生利用は技術面の安全性が確認されており、再生利用すら進まないようでは国民の理解がより必要となる最終処分場の建設受け入れは到底おぼつかないのではないか。

 

■「沖縄の基地問題意識する」

 中間貯蔵施設の地権者の中には江戸時代から続く先祖伝来の土地を手放したり、土地の所有権を残しつつ利用を認める「地上権」を設定したりして建設に協力してきた。さまざまな事情を抱えながらも根底にあるのは「復興を早く成し遂げたい」との切実な思いだ。だからこそ、政府は約束を果たさなければならない。

 双葉町の伊沢史朗町長は「沖縄の基地問題を意識するようになった」と語る。復興途上の被災地が重荷を背負い続けることへの葛藤からだという。福島県は首都圏に電力を供給してきた歴史があり、除染で出た土壌などの最終処分は「福島だけの問題ではなく、日本全体の問題」(内堀雅雄知事)だ。解決には「福島の負担を分かち合う」との意識を広げ、共感を得られるかが問われている。

 政府は全閣僚による推進会議を設けて前進へ本腰を入れる構えで、実効性のある取り組みが急がれる。最終処分地の決定を30年ごろ以降とするが、具体的な時期や選定方法は不透明だ。期限まであと20年。地元紙として政府の姿勢を厳しく問うと同時に、国民の理解が広がるよう問題提起していく。本誌を手に取った同志の皆さんもこの問題に目を向け、共に発信してくれることを願う。

 

くわた・ひろひさ▼2003年入社 報道部 ふたば支局長 東京支社を経て 22年4月から現職

 

ページのTOPへ