ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


リレーエッセー「私が会ったあの人」 の記事一覧に戻る

井上峰一さん 倉敷商工会議所会頭/暴れん坊 地元経済界の顔に(堀川 弘文)2023年5月

 相手が3人までなら勝つ自信はあった。その日も、目が合ったなどというくだらない理由で他校の生徒と殴り合いを演じた。蹴散らしたものの警察沙汰となり、校長室にも呼ばれた。井上少年、高3の初夏。3回目の停学処分が下った。

 葬儀会社である(株)いのうえの井上峰一社長は、若い頃のやんちゃぶりを笑顔で振り返る。柔和な表情からは想像もつかないくらいの暴れっぷりだった。現在は、倉敷商工会議所の会頭を務める倉敷経済界の顔でもある。井上会頭に初めてお会いした時、若い頃と現在のギャップに思わず笑ってしまった。人生どこでどう転ぶか分からないものだと思った。 

 

火事消し止めて退学免れ

 

 井上会頭は岡山市にある関西高校の出身。中学まではごく普通の生徒だったものの、高校入学後に「頭角」を現し、2年生の時にG組という「特殊クラス」に入れられた。ワルばかりを集めたクラスだ。他校の生徒とのけんかは日常茶飯事だった。通常、停学3回で退学処分になっていたという。しかし、それを免れた。火事を消し止めたのが評価されたためだ。

 当時、自宅の前に銭湯があった。停学となり自宅で謹慎しているとき、ふと銭湯を見ると番台が見えた。これはうまくいけば、中をこっそりのぞけるかもしれない。暇を持て余していた井上少年、特攻隊上がりの父親が持っていた「大日本帝国」の刻印がある双眼鏡を持ち出しレンズを銭湯に向けた途端、異変に気が付いた。窓から煙がもくもくと出ているではないか。「火事だ」。自宅にあった消火器を担いで現場に急行。消防車が来る前に見事に初期消火を終えたという。

 翌日、再び校長室に呼ばれた。校長先生は「井上君。君は悪にも強いが善にも強い」と言って、手を握り締めた。さらに、全校集会が開かれ表彰までされた。友人は皆、ニタニタ笑いながら「どうせ女風呂でものぞいていて、たまたま見つけたのだろう」とささやき合っていたが、校長先生は大いにたたえてくれた。

 

突如仏門に入り変化が

 

 懇意にしていた先生の勧めで京都市にある花園大学に進学し、そこでも武闘派ぶりを発揮した。「花園大学全学応援団」を結成し団長に就任。関西で名をはせた。卒業後は実家の葬儀会社を継ぐつもりはなく両親にそのことを告げたが、しょんぼり顔の母親を見て翻意。それまでの生活にけじめをつけるため、突如仏門に入ることを決意した。花園大の山田無文学長(当時)が妙心寺山内霊雲院(京都市)の住職を務めていた縁で、4年生の時に同院で修行生活を開始。とは言え、それまでの放蕩生活から容易には抜け出せず、夜中にこっそり脱走し祇園の辺りで飲み食いする毎日だった。それでも山田学長をはじめとする高僧との出会いで少しずつ、気持ちに変化が生じたという。

 井上会頭は現在、関西高校を傘下に置く学校法人関西学園の理事長を務めている。当時の校長はまさか井上少年が将来、理事長になるなど夢にも思わなかったに違いない。その校長の葬儀は自分が手掛けたという。

 「いろいろな人に迷惑をかけ、教えられた。いい友人、先輩、後輩に恵まれチャンスを与えてくれた。感謝の気持ちで地域社会に少しでも役に立ちたい」としみじみと語っていた。

 井上さん。倉敷のため、岡山のために、もうひと暴れしてください。

 

(ほりかわ・ひろふみ 1989年入社 経済部 整理部などを経て 2021年から岡山支局長)

 

ページのTOPへ