取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
鶴見和子さん社会学者/異なるものが支え合う世界観(稲葉 千寿)2022年9月
「ミミズがいたの、うちの庭に。土が健康な証拠ね。ああ、よかった」
張りのある声が響いた。社会学ゼミの初日、大学の古くて狭い教室で。机上には九鬼周造著『「いき」の構造』。鶴見和子教授が自己紹介を続けた。
「私はいつもこの格好。和服は自由人の服ですからね」
そんな先生こそ「粋」なのでは。そう言いたげな学生たちの視線を微笑んで受け入れたか、そっけなくかわしたかは思い出せない。ただ、鶴見さんははつらつと知的探究へと私を誘った。その場面は何度も反芻することができる。
鶴見さんは、日本の民俗学の創始者の一人、南方熊楠の研究で知られる。南方の思想から「内発性」や「脱中心性」を汲み出し、「内発的発展論」を唱えた。
すべての社会は同じ道をたどり、早かれ遅かれ、英米のように政治的に安定し、経済的に繁栄するという考えが近代化論とすれば、内発的発展論は、各社会の自然生態系、文化の伝統、価値観に根差し、人間一人一人が可能性を十全に発揮できるよう、多様性を求める。
異なるものは異なるままにお互いに支え合う。矛盾が生じたとき、何者も排除しない。衝突が起き、一元論や二項対立、排他主義では片付かない世界があった。鶴見さんの世界観に惹かれた。
取材は15年ぶりのゼミ
「おひさしぶりね」
深い情がにじむ穏やかな声。
「いいときに倒れたのよ。あのまま死んだらバラバラ人間で終わってた。いろいろやってきましたからね。幸い、言語能力と認識能力は残ったから、違う観点に移動できた」
鶴見さんは上智大学を定年退職後の1995年、脳出血で倒れ、左半身麻痺に。ミミズが蠢く庭を離れ、京都の施設に入居していた。個室で迎えてくれたのは2002年冬。前年に刊行した『南方熊楠・萃点の思想』について、文化部記者として取材した。
「萃点は、あらゆる異なる要因、文化、思想、個体などが交流し、影響し合う点のこと」。インタビューというより、15年ぶりのゼミのようで、懐かしかった。
「矛盾おきたら言葉で格闘」
「終点でも、頂点でもないの。萃点はプロセスなの。矛盾がおきたら言葉で格闘し、お互い前とは違う形になってまた流れだす。萃点自体も移動する」
以前とは別の次元で生きる決意を表した歌集『回生』も上梓していた。世界情勢に話が及ぶと、鶴見さんの口から歌がわいた。
「暴力に暴力をもて報いるほか智恵なきものかわれら人類」
暴力に対し、より大きな暴力で叩くことは、相手のレベルに落ちることと教えられた。議論のゴールは相手を言い負かすことではない。意見が異なる相手と話せば、自分が固執していた考えや行動がほどけていく。
振り返れば、卒業後も多くの萃点に引き寄せられてきた。
「萃点は出会いよ。あまねく栄養を交換する。だれかが与えるんじゃない。全部飲み込み吸収し合うのよ。私は出会った方たちの光を吸い込んで生きてきた。実にありがたい生涯であったと思いますよ。若いあなた方は、実現の可能性が小さいことでも、芽生えを捉えて、見届けてほしい」
右手だけで紅茶を淹れてくださった。飲み込んだ鶴見さんの思いは、今も私の胸で温かい。
(いなば・ちず 1988年中日新聞社入社 現在 電子メディア局次長)