ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


リレーエッセー「私が会ったあの人」 の記事一覧に戻る

竹内洋岳さん8000㍍級14座完全制覇/「登山は連鎖の中にある」(大郷 秀爾)2021年10月

 世界に14座ある8000㍍級の山々の山頂に次々と到達し、日本人として初めて14座完全登頂を達成したプロ登山家。肩書からは、武骨で屈強な肉体を持つ「山男」といった人物像を思い描く。しかし、昨年11月、取材で向かい合った竹内洋岳さん(当時49)は、長身ながらスマートな体形。眼鏡の奥の目には柔和な笑みをたたえている。場所が書斎だったことも相まって、思索にふける哲学者のような風情だった。

 登山家になるまでの道のりも、ユニークだ。「一つの道を極めた人は強い意思や信念に突き動かされているもの」という取材者の思い込みを覆し、偶然の産物と話す竹内さん。幼い頃から祖父と山登りやスキーに親しんできたが、高校で入った山岳部は「部活動が盛んな高校で生徒は必ず入らないといけなかったが、人気の部は受け付けが混雑している。早く帰りたくて選んだ人気のない部が山岳部だったんです」と屈託ない。そこで出会った部の顧問から岩山や雪山に登った経験談を聞いたことが、大学で本格的な登山をやりたいと考えるきっかけとなったという。まさに偶然の出会いに導かれたと言えるだろう。

 

■10座目の雪崩 生死の境

 

 淡々と話す竹内さんの口調とは裏腹に、14座の完全登頂に挑んだ日々は苦難の連続だった。登山の素人には、8000㍍を超える山上の環境がいかに過酷なものか、想像することしかできない。挑戦にあたって、「プロ登山家」を宣言したのは不退転の姿勢を示すためだったと振り返る。「プロを名乗るからには、最後までやり遂げなければいけない。必ず登り切る覚悟を込めました」

 覚悟を決めた竹内さんを襲った最大の危機は、生死の境をさまようほどのアクシデント。2007年に10座目のガッシャーブルムⅡ峰で雪崩に巻き込まれ、背骨や肋骨を折り、片方の肺がつぶれるほどの重傷を負った。「呼吸困難で意識ももうろうとした状態。『家族にメッセージを残せ』と言われたことは覚えています」。各国の登山家が連携して支援してくれたおかげで下山、帰国を果たして一命を取り留めた。

 「これだけ大勢の人に助けてもらった。感謝の気持ちを伝えるためにも必ず戻る」。強い思いを胸にリハビリを続け、1年後に背骨を支えるシャフトを体内に入れたまま再度挑戦し、登頂を果たした。苦難を乗り越えた竹内さんが14座制覇を成し遂げたのは12年のことだ。

 取材中に耳にして印象に残った言葉がある。「登山は輪のようなもの。頂上はゴールではなく、登って下山してまた次の山に登るという連鎖の中にある」。一つの目標を達成することは終わりではなく、次の目標へ向かう道の始まりであるという考え方は、人生にも通じるものを感じた。やはり、最初の印象は間違っていなかったようだ。極限の環境で命と向き合った経験が、「山上の哲学者」を生んだのだ。

 

■出番を待つゴッホの名作

 

 昨年から続くコロナ禍では、登山も思うようにできない状況が続いているという。登山の際に必ず持参するというゴッホの名作「星月夜」の複製も、ネパールの事務所で出番を待ちわびているだろう。この絵は自身が登ってきたヒマラヤ山脈やカラコルム山脈の山頂付近で見た星空を想起させ、登山時はテントに飾ることでリラックスできるという。

 コロナ禍が収束し、竹内さんが新たな山の頂に立つ日が一日も早く来ることを願っている。

 

 (おおごう・しゅうじ▼2002年読売新聞入社 現在 生活部)

ページのTOPへ