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株式会社と証券市場の生きた教材/ソフトバンク・孫正義氏の七変化(末村 篤)2020年6月

 「ソフトバンク(現ソフトバンクグループ)の孫(正義)社長が筆者に会いたいと言っています」。後輩の担当記者に耳打ちされた時、日経金融新聞一面のコラム「複眼独眼」に書いた記事への抗議だろうということはピンときた。

 

◆ソフトバンク株は買えない

 

 1995年2月21日付「ソフトバンク株は買いか」は、ソフトバンクが米国企業買収と公募増資を発表したタイミングで、「初年度から一株利益は増える」と報じられた孫社長の発言をとらえてのものだった。「PER(株価収益率)約100倍、配当利回り0・1%の株価で調達すれば、定期預金で運用しても一株利益は増え、コストはただ同然。孫社長がコミットすべきはROE(株主資本利益率)を高める方策のはずだ」と書生論を書いた。

 約束した日時に一人で本社を訪れると、にこやかに現れた孫社長は同席した北尾吉孝氏(現SBIホールディングス社長、当時は野村証券部長)を「今度うちに来る北尾さんです」と紹介し、「あの記事を書いたのはあなたですか。ファイナンス期間で発行体の我々が手足を縛られている時期にひどいじゃないですか」と切り出した。私はソフトバンク株は買えないと言い切った記事は無防備過ぎたことを率直に認め、論理的におかしいところがあるかと問うと、それには答えず、「ソフトバンク株を買うべきかどうか、1000万円賭けよう」と言うので、「あなたの1000万円と私の1000万円では価値が全く違う」と断った。

 とげとげしい空気を想像されるかもしれないが、感情を交えずに淡々と語る〝時の人〟に好印象を持った。私は40代半ばで、取材相手は自分より年配者ばかりだったので、年下の相手(孫社長は37歳)への対応に戸惑いを感じたのは確かだった。

 この記事は読者の反応が面白かった。ペンネームだったから筆者が誰か分からないところがミソだ。証券会社の幹部が「とんでもない記事を載せる新聞も新聞だ」と本人を目前にしてこき下ろしたかと思うと、銀行幹部は「素晴らしい記事が載っていた」と本人を前に激賞した。

 

◆投資信託のファンドマネジャー 

 

 ソフトバンク論の試みは96年7月7日付日経本紙産業面の「経営の視点」に書いた「ソフトバンクは投資信託?」が最初だった。財務データを見る限り、事業会社というよりも会社型投資信託で実態は金融=投資業。孫社長は情報産業のインサイダー(内部者)として日米を股にかける人気ファンドマネジャー。投資哲学はヘッジファンド同様、市場(間)に存在する金利と収益率のギャップを埋める国際アービトラージ(裁定取引)で、極めて合理的な金融取引である、と規定した。

 因縁の出会いから1年半後の署名入り記事だったが、ソフトバンクからは何も言ってこなかった。ただ、その後、折に触れ「孫社長は投資信託論を否定している」という話が風の便りに伝わってきたので、本人は気にしていたのかもしれない。

 ソフトバンクのビジネスモデルに興味を持った私の目に、2000年前後の動きは異様に映った。IT(情報技術)ブームを背景に、証券会社やベンチャーキャピタルに加え、あおぞら銀行(旧日本債券信用銀行)への出資で銀行も傘下に置き、米国の店頭株式市場を運営するナスダックと提携してナスダック・ジャパン市場(現新ジャスダック市場)を創設、自ら証券市場の開設者となって「IPO(株式新規公開)」に絡む業務の総取りを目論んだのだ。証券市場では市場関係者の利益相反行為はご法度。銀行、証券会社を抱える企業(資本)が市場の胴元を兼ねるなど前代未聞の珍事である。

 「IPO総取り」の野望は、ITバブル崩壊で露と消えた。そのまま突っ走っていたならば、グロテスクなビジネスモデルは不祥事のデパートと化していただろう。ソフトバンクはその後、証券業務をはじめとする金融事業を完全に分離している。

 

◆巨額M&Aで事業会社へ回帰

 

 次の転機は、日本テレコム(固定電話)、ボーダフォン(携帯電話)を買収した2000年代半ばに訪れる。ソフトバンクはNTT、KDDIと並ぶ通信大手の一角を占め、祖業のパソコンソフトの販売事業会社から投資金融会社を経て通信事業会社へ回帰するが、買収した事業の証券化という金融技術を駆使して資金調達せざるを得なかったのは、自身の信用力不足をも物語っていた。06年10月3日付日経本紙企業財務面の「一目均衡」で、「孫社長は投資の回収を目指す事業家か、夢を追う投資家か」(「帰ってきた?ソフトバンク」)と書いた。

 ソフトバンクによる米国携帯電話3位のスプリント・ネクステル買収を受けた、12年11月6日付日経本紙「一目均衡」(「ソフトバンクの裁定戦略」)が最後のソフトバンク論になった。一般論として、市場=投資家から高い利益率を要求される米国企業に対し、日本企業は低い利益率を許容されるので、(スプリントを)安く買って、短期的な収益悪化と体力戦を耐え、得意の価格政策で低位安定経営に持ち込めれば、中長期的に勝算はある―。私の知恵袋で投資理論の師、井手正介氏の見立てを紹介し、異なる企業観、価値観を映す利益率格差は資本主義の多様性に根差すとすれば、ソフトバンクの選択は彼我の資本主義の差異に着目した裁定取引戦略と見ることができる、と書いた。

 ソフトバンクはその後、スプリントと米国携帯4位のTモバイルUSの合併を仕掛けるが、米当局の許可が下りず、逆に主導権をTモバイルに譲り渡して米国の通信事業から事実上撤退する格好になったため、裁定戦略の結果を見ずに終わった。

 ソフトバンク(孫社長)はポストバブル期(世代)の日本を代表する企業(経営者)で、株式会社制度と証券市場を徹底的に使い込んだ点で稀に見る存在だった。ソフトバンクと同年同月(94年7月)に株式公開したファーストリテイリング(ユニクロ、柳井正社長)が証券市場をほとんど使わない実業一本やりを貫いているのとは好対照だ。ソフトバンクに触発されたIT企業、ライブドア(堀江貴文社長)が株式会社と証券市場の誤用、濫用、悪用の揚げ句の果てに、市場から退場させられた一部始終も見ものだった。

 

◆神業の目利き力は買いか?

 

 最後に、書かなかったことを挙げる。ソフトバンクが今日あるのは米国ヤフーと中国アリババ集団という大化けしたベンチャー企業への投資の賜物だが、兆円単位の利益をもたらした孫社長のファンドマネジャー(ベンチャーキャピタリスト)としての天才的目利き力について踏み込まなかった。凡庸な記者の能力を超えていることに加え、株式会社と証券市場のメカニズムに関心があった自分には、制度・システムを超越した神業とも言える個人技に関心が向かわなかったからでもある。

 今、ソフトバンクは「ビジョン・ファンド」を立ち上げ、世界の名だたる投資家、IT企業から巨額資金を集め、AI(人工知能)を中心とする次世代技術に投資する純粋投資信託(投資会社)というビジネスモデルに挑む。孫社長はシリコンバレーのインサイダー・ファンドマネジャーとしてデビューした振り出しに戻り…と言いたいところだが、もはや、国境を挟んだ経済位相の差異を利用する裁定戦略が意味をなさない真正グローバル投資家として、世界を股にかけた前例のない大勝負だ。

 株式会社と証券市場を空前のスケールで使い切るソフトバンクの世紀の実験は、新型コロナウイルスによる歴史的規模のパンデミックという想定外の伏兵との遭遇もあり、のっけから巨額赤字の計上を余儀なくされるなど、荒海の航海を強いられている。「300年企業」を標榜する主宰者、孫正義社長にとって、文字通りの正念場である。

 元ウオッチャーは「ソフトバンク株は買い」とは言えないが、「売り」と言う自信もない。

 

すえむら・あつし

1974年日本経済新聞社入社 編集局産業部 長野支局 証券部を経て 日経マグロウヒル社(現日経BP社)出向(日経ビジネス編集) 証券部次長兼編集委員 論説委員 特別編集委員 2013年退社

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