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64年東京五輪 閉会式の発案者    (柴田 鉄治)2020年1月

 年が明けて2020年、東京オリンピックの年となった。東京・五輪といえば、56年前の1964年の東京オリンピックを思い起こすが、私は新聞記者になって6年目、地方勤務から東京本社の社会部に上がってきたばかりの時だった。

 

従って競技の取材はさせてもらえず、準備作業や雑用係として東京の水不足などの取材に追われた。そのご褒美というわけではあるまいが警戒要員として開会式の見学ができ、晴れ上がった青空に五色の輪が描かれるのを見て感激した。

 

だが、私が東京五輪で最も感動したのは、テレビで見た閉会式の入場行進だった。国別に整然とした開会式とは違って、各国の選手が入り交って手をつないだり、肩車をしたり、という自由な雰囲気の行進だったからだ。

 

そして私の取材余話は、その1年後のことである。日本の南極観測が、観測船「宗谷」の老朽化で4年間の中断を経て再開され、65年秋に日本を発つ第7次観測隊の同行記者に私が抜擢されたときのことである。

 

国際地球観測年(IGY1957年~58年)の南極観測に日本も参加しようと提案して実現させた朝日新聞社会部の先輩記者、矢田喜美雄さんと話していたとき、私が閉会式に感動したと言ったら矢田さんが「それは私の提案だ」というので驚いた。

 

矢田さんは早稲田の学生時代、1936年のベルリン・オリンピックに走り高跳びの選手として出場し5位に入賞した実績から、東京五輪の組織委員会の一員となり、その提案をしたというのだ。

 

IGYが終わって、米国の提案で南極条約が生まれ、南極は国境もなければ軍事基地もない平和の地となった。近代オリンピックも、発案者のクーベルダン男爵によれば、戦争をなくし、平和の祭典として開催されるものだから、「南極のように、国境をなくしたいと考えた」と矢田さんは言うのである。

 

それを聞いて南極にも憲法9条にも惚れ込んでいる私が、どれほど嬉しく思ったことか。

                                             

        (元朝日新聞社会部長 20201月記)

  

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