取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
女性史研究家・もろさわようこさん/生涯「トライ・アンド・エラー」(河原 千春)2020年1月
自分が書いて、発する言葉にどう責任をもって生きるか。厳しく自問自答しながら、人と未来を信じて理想に向かって飛ぶ。女性史研究家、もろさわようこさんの生き方と言葉は、私を含めて今を生きる妹たちを勇気づけてくれるように感じてきた。2013年春の出会いから7年近く。情熱に触れるたび、背筋がしゃんと伸びる。
「困難が起こると、より情熱が湧くの。困難を自ら引き受けて、それをプラスに転化できるだけの器量を持ちたいと思って生きてきました」「使命感があれば、何かあってもつらいと思わないの。クリエーティブなことをする以上は、矛盾があったり、行き詰まったり、トライ・アンド・エラーですよ」
もろさわさんは1925(大正14)年に、現在の長野県佐久市に生まれた。この2月に95歳になる。市川房枝に見いだされて編集者になった後、女性である自分自身が抱えた問題や葛藤を、社会構造との関わりから分析した『おんなの歴史』を出版。地方女性史の先駆け『信濃のおんな』など、多くの著作が女性たちを励ました。色あせない言葉は力強く、半世紀という時間を超えて私の心を揺さぶる。歴史の中で女性たちが置かれてきた境遇を知り、そこに連なる自分の立ち位置も見つめさせられた。
■敗戦後の決意は「自分で検証」
力強い言葉がもろさわさんから発せられる背景に、敗戦後の決意があることを知った。軍国少女だった戦時中。ラジオや本で立派な発言をする〝文化人〟の言葉を信じ、国のために命を懸けるのを疑わなかった。「どんなに素敵な言葉でも自分で検証しないうちは信じない」「うじ虫みたいでいいから、自分が見て、手触り、考えて、生きる中で責任を取る」。敗戦の実態と対面していく中で、そんな覚悟をしたという。
納得すると同時に、深く考えさせられた。私が日々書いている記事の一語一語に、どれほどの覚悟を持っているのか。そう問われた気持ちだった。
■骨折すら「精神史のエポック」に
長野県、高知市、沖縄県南城市を渡り歩くもろさわさんは、現在、南城市で自活している。昨年の滞在中は腰椎を圧迫骨折。回復後に移り、暮らした高知でも転倒し、大腿骨を折って再び入院した。はたから見れば満身創痍だが、「新たな精神史のエポック」を得られたとうれしそうだ。転んでも、ただでは起きない人である。
そんな今、もろさわさんは心の奥にある、幼いころから抱えている思いを表現しようと思索中だ。「詩とエッセーを組み合わせて新しい文体」に挑戦するのだと、電話越しの声が弾んでいる。
その生きざまが、かつて語ってくれた信念に重なった。「生きている限りは自分を新しくしていかなきゃ。自己解体しないで、言葉だけ新しいものを求めても、ちっとも歴史は動かない。一人一人が自分を新しくしていくときが、歴史が新しくなるときだと思う」
言葉にどう責任をもって生きるか。一途に生ききろうとする姿から、学ばせてもらうことは多い。1月にも訪ねるつもりだ。
(かわはら・ちはる 信濃毎日新聞社文化部)