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洋画家・野田弘志さん  北の大地で写実画の真髄探究(佐藤 剛)2018年10月

 北海道の伊達市はあの洞爺湖サミット(2008年)の開催会場にほど近い風光明媚な土地である。

 

 冬の積雪量は北国としては極めて少なく、夏場の気候は温暖そのもの。「ここの気温と低湿度のバランスは南仏に似ていて油絵の具には実に具合がいい」。1990年代半ばからマチの郊外に生活の拠点を構える洋画家の野田弘志さん(82)はかつて、住民たちが「北の湘南」と自慢する地元の気候風土をこう評したことがある。

 

 美術愛好家には言わずと知れたリアリズム、超写実主義の巨匠。この方面に疎い方でも今年6月、宮内庁が発表した天皇、皇后両陛下の肖像画の作者と聞けば、「ああ、あの作品の…」と大きくうなずかれるのではないか。

 

 私はいまから20年近く前、このエリアを担当する北海道新聞社支局長として着任、野田さんの知遇を得た。それまで東京在住だった画伯は当初、「道東」と呼ばれる摩周湖周辺の雄大な自然に魅せられ、土地を物色したらしいが、道内の知人らから「札幌に近く、温暖な場所を」との薦めを受けて方向転換した由。

 

 余談だが、その飾らない人柄から交友関係は実に幅広い。私の在勤当時は野田さんの誘いで女流作家の故宮尾登美子さん夫妻が野田邸の隣接地に別荘を建て、夏場の避暑と執筆に訪れていた。「森林のマイナスイオンの効果か、ここでは仕事がはかどる」とお気に入りで、『宮尾本 平家物語』はこの地で完成されたのだった。

 

 ■他の追随許さぬ細密技法

 

 さて、当時の野田さんはすでに他の追随を許さぬ細密技法で画壇に確固たる地歩を確立されていた。アトリエにお邪魔すると、描きかけや完成したばかりの静物画、裸婦画像などが置かれ、画伯本人が「この作品でボクが狙ったのは…」などと解説してくださる。まさに夢見心地の体験であった。好物のワインが入ると、芸術論は熱を帯び、止まるところを知らない。

 

 街中の洋食屋でご一緒した時のこと。何がきっかけであったか、裸婦画像をめぐる談義に火がついた。「自分としては生命力あふれる女性の画像の中に『生きるとは何か』を考え抜いて表現したい」と野田さん。酔いが回ると脱線気味のヌード談義は狭い店内に延々と響き渡り、しびれを切らせた店主が「女性のお客さまも多く、どうかご配慮を」と止めに入ったのはいまも忘れられない想い出だ。

 

 「リアリズムの真髄をつかみたい」と、その創作意欲はなお旺盛だ。以前からご親交のある両陛下のご依頼を受け、周囲にも極秘のまま制作に取り組んでこられたという今回の肖像画。恐らくその実作品には一本一本の毛髪に至るまで両陛下の存在感が写真以上に精緻に再現されているに違いない。

 

 伊達市の関係者によると、野田さんご本人は、宮内庁の発表の前後からしばし所在が不明となり、報道各社が取材を申し込もうにも、全く接触が不可能となったとか。大任を終えた疲労、安堵もあろうが、「メディアに露出することで売名行為と取られることを嫌ったのでは」との声が真情に近いのではないか。芸術家の売名的な処世術を極端に嫌う、いかにも野田画伯らしいエピソードではある。

 

(さとう・つよし 道新スポーツ代表取締役社長)

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