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3・11から3年:風化させない決意2014(2014年3月) の記事一覧に戻る

記憶薄れても発信する努力続けたい(共同通信社 鹿野修三)2014年3月

震災発生直後、宮城県気仙沼市の鹿折地区を取材した。車や建物の鉄骨は焼け焦げ、折り重なるように周囲を埋め尽くしていた。津波で打ち上げられた漁船「第18共徳丸」もその中にあった。破壊された市街地で煙にかすむ巨大な姿は絶望的な震災の規模を実感させた。惨状に圧倒され、途方に暮れながら「この震災を何十年も伝えていかなくては」と私は心に刻み込んだ。

 

約2年半、保存か解体かで揺れた共徳丸は昨年10月に撤去された。先月、その跡地に足を運ぶと新しく道路が舗装され、真っ白なガードレールが設置されていた。一変した風景に降雪も加わり、住宅の土台、遠くの山並みなどを頼りにようやく「ここだったかな」という地点にたどりついた。巨大な船体を見上げて「びびる」ことはもう誰にもできない。ぽっかり空いた空間を眺め、共徳丸は津波の威力を雄弁に語る証人であったと強烈に感じた。

 

今後、復興とともに震災の爪痕が消え、人の記憶が薄れていく。それでもわれわれは力のこもった写真や記事を発信し続けなくてはならない。想像力と感性と努力を維持して挑みつづけるしかない。何度となく通った現場でその思いを新たにした。

 

(しかの・しゅうぞう 仙台支社写真担当)

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